慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

12月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、12月15日(日)10時より行います。テーマは、「『一枚起請文』に学ぶ法然上人の教え」です。どなたでも歓迎いたします。」お気軽にご参加ください。

「どなたでもどうぞのお寺」の輪が広がり始めたようです

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 四月の下旬に中日新聞東京新聞に私のつたないエッセイが掲載されました。地元の有力紙に声をかけていただけただけで、恥ずかしながら凡夫丸出しの私はもちろんニコニコ・・・しかしその後も嬉しい予想外が続いています。新聞記事を見ました」とおっしゃってお手紙を下さったり、お寺を訪ねて下さったりする方が増えてきたのです。記事が作ってくれたご縁ですね。

 もちろん、増えたといっても、「一週間、誰もお参りに来て下さらなかった」という状況から、毎日二人ぐらいになったのですが、檀家ゼロの小さな慈雲寺としては大変化です。

 昨日おいでになった方は、「恩人の命日なので、大きな声でしっかりお経を読誦して御供養したい。でも、団地の一室では遠慮がある。本堂でお経をあげさせてもらっても良いですか?」とおっしゃっていました。

 新聞を読んで、「だれでもおいで、だれでもどうぞのお寺」という言葉に励まされて来たと、その初老の男性はおっしゃっていました。

 こういう形でご縁ができるのが、まさに私が願っていることです。

 

 前にも何回かこのブログに書きましたが、亡くなられた方の御供養は血縁者でなければやってはいけないということはありません。恩人、友人、尊敬する先人(直接関係がない方でも)などを御供養したいという気持ちが起きたときこそが仏縁です。菩提寺のご住職にお願いするのがおすすめですが、もし、どこにも頼れないなら慈雲寺においでください。

 事前にご連絡いただければ、ご一緒に読経させていただきますし、もし一人で静かにお参りしたい(もしくは思いきり大きな声で読経したい)方は、本堂に上がってお参りなさってください。

 「一人でお参りしたい」とか友人、家族だけでお参りしたいという方も、遠慮なく庫裏にお声がけ下さい。灯りをともしたり、お焼香ができるようにお手伝いします。

 

◎今日の写真は大正時代の建物が残っている岐阜県明智町でみたステンドグラスです。