慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

11月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、11月21日10時より行います。テーマは「極楽のガイドブック、浄土三部経ってなんでしょう?」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

阪神・淡路大震災の犠牲者を悼む

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 今日1月17日は、阪神・淡路大震災から26年です。

 今朝は5時前に目が覚めたので、本堂を開き、周辺の住宅の方の睡眠の邪魔にならないように、小さな声で、この震災で亡くなられた方のために廻向させていただきました。

 私は、一昨年まで毎月関西に取材に行く仕事をいただいていたのですが、神戸に行くたびに、不思議な感情が心にあふれてしまいます。26年前、映像や写真で見た街のあり様と、目の前に広がっている現実との乖離が、違和感・・・とは違うと思うのですが、表現しにくい感情が湧いてくるのです。

 自分はあの時何をしたのか?何ができたのか?という気持ちもあります。友人や親戚で被害にあった方も多いので、より「自分がしたこと」「しなかったこと」「すべきただったこと」を考えるのでしょう。

 ある知人の家では、高級住宅街の贅沢な屋敷は残ったのですが、家族は崩壊してしまいました。今まで先延ばしにしていた、もしくは目をそらしていた問題が震災をきっかけに噴出してしまったのでしょう。

 災害の「犠牲者」とは、亡くなられた方や怪我人、資産的な被害だけでなく、心の傷こそ長く、長く残るものではないでしょうか?

 今、私たちが直面しているコロナ禍でも、実際に感染していなくても、不安は滓のように心に積もっています。こんな時こそ、信仰が問われる時です。「お助け下さい」の信心ではなく、現実に対応する柔軟さと勇気を養う信仰です。

 自分に今できることを十分に行った上で、そこから先は阿弥陀様にお任せする・・・と、人には説いているのですが、今日の私は震災の時の写真を見ながら心穏やかではありませんでした。