毎月の法話のテーマに悩んだりしているときには、インターネットの投稿をまとめたサイトを覘いたりします。世の中の人がどんなことに関心があるのか知りたいのですが、まあ、無記名の投稿ですから、それがどれほど現実を反映しているのかわかりません。でも、時々、考えさせられる話題もあります。
今日見かけたのは、「舅の七回忌の法要の日が、小学一年生の息子の初めての遠足の日と重なってしまう。どちらに出席させるべきか」という母親の相談です。母親は、どうやら遠足の方にだいぶ傾いている様子で、賛成意見を求めているようです。
母親の言い分としては、子供にとっては会ったこともない舅の法事より、小学校で初めての遠足という思い出を台無しにしたくないとのことでした。
母親の文章から最初に漂ってくるのは、彼女自身が法事に行きたくないのではという疑問です。小学校1年生の遠足ですから、午後それほど遅くならずに帰宅してくるでしょう。ということは、少なくとも母親だけは家で待っている必要がありそうです。
遠足を楽しみにしている子供を説得するのは大変でしょうし、無理やり法事に連れて行って、子供にぐずられるのも面倒・・・というのが本音では?
この投稿には、多くの人が応答していました。大半は、母親をバックアップする意見のようでした。全体に流れているのは「法事は面倒なだけで、何のメリットもないつまらないしきたりなのだから・・・」という同調でした。
法事が面倒なだけで、無意味な慣習と思われているのなら、僧侶の力不足がまず責められるべきでしょう。普段から仏事の大切さ、意義について説いている僧侶が少ないということでしょう。
私は法事に良い思い出しかないので、「法事は面倒なだけ」という発想を理解するのが容易ではありません。自分の親類縁者に会えるのはとても興味深いし、祖先の話を聞くのも楽しい。
そして、人はやがて誰でもが死んでいくのだという、なんとも不思議な事実と向かい合う恐ろしさ、哀しさ、寂しさ・・・・一方で、人々の心の中に故人が生き続けていることの安堵感や不思議な幸福感。
小さい子供でも、ぜひ葬式や法事を体験させてあげて下さい。命について考えるとても良いきっかけになるでしょう。善き僧侶に出会えたら、何よりの幸せのはずですが・・・私はまだまだなぁ