慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「家族葬は高くつく」と、とうとう週刊ポストが言い出した!?(その2)

(明治村に保存されている病院だった建物の廊下)

 

 残される家族に負担を掛けたくないという思いやりなどから、「葬儀は簡単に、家族葬で」と言い残す方が増えているようです。これに加え、コロナ禍の影響で大勢の人を呼ぶ葬儀をしないことが「当たり前」になってきたようです。

 慈雲寺の周辺にも、家族葬をメインに想定した小規模な葬儀場が増えています。しかし、9月1日号の週刊ポストに掲載された小さな記事によると、「家族葬」が必ずしも家族の負担を軽減するとは限らないそうです。

 このことは、私が慈雲寺に赴任してすぐに気になり始めたことでした。

 

 Aさんは89歳で亡くなられて、家族は直近の親族のみに訃報を知らせました。葬儀の出席者は10名足らずでした。

 しかし、葬儀が終わった後に、自宅に次々と弔問客が現れたのです。その度に遺族は「なぜ知らせてくれなかったのか?」と非難され、対応に疲れ果ててしまったそうです。

 家族は良く知らなかったのですが、Aさんは地域の中で、ゴルフや将棋のお仲間がたくさんいる人気者だったのです。交友関係が広く、ビジネスのアドバイスなどもしていたそうです。

 Aさんを仲間、友人、恩人として慕う人が、家族の予想をはるかに超えていたのです。子供たちは東京などに離れて住んでいたし、A夫人は夫の交際にあまり関わらなかったのせ知ることができなかったのでしょう。

 

 A夫人から相談を受けた私は「偲ぶ会」を提案しました。ゴルフ場のクラブハウスを借りて、私が短い読経をして焼香。後はお茶会のように、簡単なお菓子やサンドイッチ程度のものを用意します。偲ぶ会の知らせは、お仲間におまかせしたところ、ゴルフ仲間から仕事の知人まで、100人近くの方々が集まり、思い出話に花が咲く、なごやかな会になりました。

 費用は「香典」という形ではなく、「志」という感じで無記名でお金を残して下さった方が多いので、家族の経済的負担はそれほど多くはなかったようです。お礼状や返礼品の心配も無しでした。

 

 故人を送り、気持ちに区切りをつけたい、きちんとお別れとお礼が言いたいという気持ちはけして家族だけのものではありません。

 友人や仕事仲間はもちろん、毎朝の挨拶をするだけのご近所の方にも、こうした気持ちはあるのです。ご近所の方の顔が見えないなぁと思っていたら、「三か月前になくなった」と聞いたりするのは、精神的にかなりの負担になるのではないでしょうか?

(つづく)