先日、実家で父の遺品などを整理していたら、私が30年前ぐらいにカナダから出した手紙が出てきました。当時私はカナダの大学院に留学していて、現地で目にした珍しいものや驚いたことについて書き綴っていました。
最初はこうして手紙をやりとりしていたのですが、そのうち実家にも私の家にもファックスが導入されて、やりとりはファックスに変化したようです。当時のファックスらしきものもあったのですが、感熱紙だったので、もう読めなくなっていました。
そして、父はマッキントッシュを入手。私も中古のパソコンを持つようになって、連絡はパソコンのメールを使っていたようです。私が送ったカナダの写真を父はプリントアウトしてくれていたようで、その紙束も残されていました。
父は寡黙な人で、私に直接心配していることを伝えたことはないのですが、この残された手紙やプリントアウトの束を見ていると父の思いが伝わってきました。
自分が出した手紙を数十年たってから、また自分で読むというのは不思議な体験でした。まるでタイムスリップをして昔の自分に出会ったようです。
「いや、それは誤解だよ!」と自分に言いたくなるエピソードもたくさんありました。英語の力が十分ではなかったので、対人関係や勉強の面でもなかなか苦労しています。
特に修士論文を書いているときは大変でした。まだパソコンは持っていなかった時代です。手動のタイプライターで打ち込みますから、訂正をするのは一苦労。もう卒業できないかもしれないとかなり不安だった日もあるのですが、手紙にはそのことは触れていません。両親を心配させたくないし、私の意地もあったのかもしれません。
大学院時代のことは、あまり良く覚えていません。あまりに辛くて、思い出したくない????でも、手紙の中では、きれいな花を見たこと、景色の美しさなど、楽しいこともたくさん書いてありました。
私は研究者としての素質はなかったようで、大学院に行った成果をその後の人生にどれだけ活かせたたのか疑問でした。州政府から返還不要の奨学金をいただいていたので、よけいに申し訳ないという気持ちが強かったのかもしれません。
しかし、手紙を読むと今の私を形作っているのは、カナダ時代の経験が大きく影響しているのだということを改めて感じました。カナダで出会った人々から受けた恩は、僧侶としての活動を通して返して行くしかないのだと思いました。
州政府からいただいたお金については、その後、旅行ライターとしてカナダ観光に少々貢献したかと思うので、勘弁してもらうことにしましょう。