しばらく、このブログの更新が止まっていました。心配して連絡して下さった方々、ありがとうございます。
実は先日、布教師の資格審査を受験しました。その準備で数週間、バタバタしておりました。
僧侶には、布教を行う説教、儀式の手順や所作を学ぶ法式、そして教えの学問的な研究をする教学、この三つの分野で修行に励むことが求められています。本当は、三つの分野をバランスよく習得するのが理想ですが、なかなかそうはいきません。多くの僧侶は、そのうちの一つを得意分野として集中することになります。
私はお説教を行う布教師として進んでいきたいと思っていました。私を僧侶にしてくれた最初の師僧である、櫨本随暢師が宗門きっての説教師だったので、その影響かとおもいます。
布教を行うには、いくつかの資格が必要です。私は今、下から二番目の凖讃教という資格をいただいています。このままでも、一般的なお説教の会に呼んでいただくことは可能ですが、もう一段階上がると、五重相伝などの儀式に説教師としてお手伝いさせていただけるようになります。
凖讃教までは、比較的簡単に上がることができるのですが、ここから一段上に行き、讃教という資格をいただくのは、かなり大変だと聞いていました。
私は試験と名のつくものが何であれ苦手。できるだけ試験を受けなくてよいように逃げ回る人生と言っても過言ではないほどです。
それで、讃教の試験も受けたくなくてぐずぐずしていたのですが、今回は兄弟子から強く勧められたので、恐る恐る受けることにしたのです。
今年のお題は「戒念一味」という浄土宗西山派(西山浄土宗)独特のお念仏のとらえ方についてです。
仏教徒として生きるご縁をいただいたら、「戒」を授けられます。この戒を守って修行を続けることが求められるわけですが、凡夫には非常に難しいことです。
しかし、「南無阿弥陀仏」の六字の名号を口称することのよって、阿弥陀仏と私たちが一体となり、阿弥陀仏の慈悲に包まれ、戒徳が現れてくるのです。
お念仏の中に、おのずと「戒」も備わっているという教えです。
う~~ん・・・なかなか説明するのは難しいですよね。半年近く、七転八倒しても、一般の信者の方々にわかりやすく説明できるか自信がもてなくて・・・・
原稿を書いているうちに自分が理解していないところが浮かびあがってきて、また悩みの連続でした。
とはいえ、当日は最初の3分ぐらいは手が震えて、すっかりあがってしまいましたが、お念仏を称えているうちに少し落ち着いてきました。
出来の良しあしはともかく、まあ、ここらへんが私の実力というか、現実というところだろう・・・と思うお説教になりました。
まだ合否の通知は来ませんが、どんな結果でもありがたく受けようという気持ちです。