慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

小指のケガに教えてもらったこと

 先日、キャベツの千切りを作ろうとスライサーを使っていたら、小指をざっくり切ってしまいました。けっこう深い傷・・・・

 小指の先だけなのですが、これがなかなか厄介でした。まず、絆創膏を貼るのが大変。ともかく傷口を消毒して保護しなければと思うのですが、なかなか血は止まらないし、うまく絆創膏が貼れません。

 少し触っただけでも全身が緊張するほど痛い!

 肉が盛り上がり、傷がふさがるまで10日以上かかりました。その間、何度も「ギャッ!!」と叫んでしまいました。なんと、驚くほど私は小指をいろいろな所にぶつけていたのです。

 少し触れるだけでも痛いのに、ちゃんと意識していないと、日常生活の中で、私は何度も小指をどこかに触れている・・・というより「ぶつけて」いました。普段はよほどの力でぶつけない限り意識していなかったということでしょう。

 小指は私の不注意の「虐待」に耐えて、いろいろなことで私を支えてくれていたのです。小指の先が痛いと、いろいろなことがとても不便。第一タイピングができない!

 物を持つときや掴むときも、小指の役割というのはなかなか重要だということにも気が付きました。

 手の指の中で一番小さく、普段存在を意識することはほとんどない小指ですが、これほど私の暮らしを支えていてくれたなんて・・・

 小指を守ろうと意識すると、体全体のバランスにも影響するようで、なんだか全身が変な感じ・・・・

 

 こんな風に、私たちは普段意識しない「小さな」ことが、それぞれ役割を担って全体を支えているのだと、小指のケガから教えてもらいました。

 仏教は、「細部にこだわれ」と繰り返し教えています。大枠で状況を把握することは大切ですが、「小さい」ことも同じように目を配っていくことも大切なのです。

 仏教は「平等」ということを大切にします。私たちの身体はもちろん、社会全体でも「小さい」から切り捨てて良いものなどなく、皆平等に生きられる道、生かせる方法を常に考えるのが仏教徒の生き方です。

 

 今、小指の傷はほぼ癒えていますが、傷口を押すとまだ少し痛い。私の体が傷をふさぐために細胞を更新したのだと思うと、なんだか神秘的な感じさえします。ちょっと感動してしまいました。