パスポートが見当たらなくなって、ほとほと困っていました。
コロナ禍で旅行ライターとして海外に行く仕事が全く無くなったので、パスポートを使う機会がありませんでした。
しかし数ヶ月前、証明書が必要な手続きがあって、運転免許を持っていない私はパスポートを代わりに利用しました。その手続きが終わった時、パスポートをいつもの場所に置かなかったようです。
同じ頃、カナダに行かなければならない用事があったのですが、いざ飛行機の切符を買おうとしたらパスポートを仕舞った場所が思い出せません。
二つの部屋をひっくり返して探し続けたのですが、部屋が乱雑になっただけで、パスポートにたどり着くことができませんでした。部屋のカオス状態はパニックになった私の心そのものでした。
いよいよパスポートの紛失届けをして、再発行の手続きをとらなければということになったのですが、この手続きがなかなか面倒です。家の中で紛失したことが明らかでも、警察に行って紛失届けをしなければならないほど。
ほとほと泣けてきていたのですが・・・・
しかし、今日、パソコンの周りの文具を入れた箱を何気なく整理したら、なんと!箱の底にパスポートが潜んでいたではないですか!
たぶん、鞄から出して、所定の場所に入れるまで、ちょっと箱の上に置いたのでしょう。それがなぜか底の方に潜り込んでいた・・・
机の周辺はもう何百回も見たはずなのに・・・一番驚いたのは、私が赤だと思い込んでいたパスポートが紺色だったことです。いつも10年のパスポートを使っていたのですが、なぜか前回の更新では5年にしていて、そのことを完全に忘れてました。
「赤」という思い込みが、目の前のパスポート(裏返しだった)を色で認識できなかったようです。
思い込みが「見えているものが見えない」という状況を造っていたのでしょう。
もう一つの原因は、カナダにあまり行きたくないという気持ちがあったことです。私はカナダに40年以上住んでいたので、友人も多いし、さまざまな思いも強い。経済的な問題や時間の問題で、自由にカナダを行き来できない現状を考えたりすると、思いが強すぎて、かえって避けたくなってしまっていたようです。
今日、いよいよ警察に行こうと思っていたところで、パスポートの出現!う~ん・・・恐らく、私は自分の見たくない物、避けたいものを見ていなかったということでしょう。
私たちは自分の見たい物しか見えないことがしばしばあります。仏教は、心を落ち着けて、多くの角度からものを「観よ」と教えています。パスポートの発見(?)は、私の本心との出会いでもあるようです。