慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

平安古経展に出会って Part1

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 叔父のお見舞いに奈良へ行って来ました。病院の面会時間までしばらく間があったので、国立奈良博物館へ行ってみました。お目当ての「なら仏像館」は改修工事のためしばらく休館中。がっかりして本館の看板を見たら「平安古経展」を開催中であることがわかりました。平安時代の写経などを集めた、非常に地味(?)そうな展覧会。でもこれもご縁と思って入ってみました。

 予想通り、奈良博物館の特別展としては今まで体験したことがないほど閑散としていました。警備の人の方が多いくらい・・・・でも、来ていたのは経典に興味のあるかたばかりのようで、静かに、しかも思いきりじっくりと見ていらっしゃいました。なんか、雰囲気いいなぁ。普段の展覧会もこんなふうにのんびりしてるといいのに。正倉院展みたいに押すな押すなで、しかもあちこちで薀蓄を声高に語るひとがいたりすると、昔に思いをはせるどころじゃないし・・・・

 展示品は少なかったのですが、2時間ぐらい楽しんでしまいました。

 

 仏教が伝来して以来、仏の教えは「鎮護国家」、つまり国を護るためのものでした。勅命天皇からの命令)によって、経典を書き写す写経が非常に数多く行われました。しかし、平安時代になると全国の国分寺勅命で建てられた寺院)に経典が行きわたったこともあって、写経はやや下火になります。

 しかし平安時代になり、永承七年(1052年)から世界は末法の時代に入ったという信仰が広まると、鎮護国家ではなく、現世の安寧と極楽への往生を願って行われる写経が行われるようになりました。今回の展覧会は、その末法思想の広がりとともに現れた華麗な写経を中心としたものです。

 末法思想とは仏教徒の間で広く信じられていた歴史観で、時代を正法、像法、末法分ける考え方です。お釈迦さまがこの世に現れ、悟りを開いて教えを伝えてから1000年間(500年という説もある)は、正しい教えが世に行われ、それによって悟る人もいる「正法」の時代。次の1000年は教えは行われるけれど、見かけだけの修行で悟る人のいない「像法」の時代。そしてそれが終わると教えも正しく伝わらず、悟る人もいない「末法」と呼ばれる最悪の時代が1万年続くというのです。そして1万年後にはお経さえも全く消滅してしまうのです。末法に入れば、世の中の状況も、人の能力も悟りをえることなどできないわけです。

 末法の時代は平安時代にはじまり、今もまっただ中なのです。しかし!人々は絶望ばかりしていたのではありません。平安時代の古経には、人々の熱い思いが込められていました。(Part 2につづく)

・今日の写真は「平安古経展」の図録の表紙です。地味な展覧会でしたが、図録は見応えがあり、制作に関わった方々の熱意が伝わってきます。