慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

仏法との出会いこそ、生きがい Part2

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「ここにわれらいかなる宿縁にこたえ、いかなる善業によりてか、佛法流布の時にむまれて、生死解脱のみちをきく事をえたる。しかるをいまあひかたくしてあふ事をえたり」法然源空法然上人)『登山状』より

 

 上に引用したのは、日本にお念仏の信仰を確立した法然源空上人(法然上人)のお言葉です。Part1で引用した道元禅師のお言葉と比べてみて下さい。自力と他力の違いはあっても、お二人とも、「人間に生まれ、仏法に出会うことができたこと」が、どれほの僥倖であるのかを強調しています。

 

 自分は何のために生まれてきたのか・・・・

 自分は何のために生きているのか・・・・

 生きていても意味があるとは思えない・・・・

 

 時として、私たちは生きる目的や意義を自分で疑ってしまうことがあります。しかし、仏教の答えは明確でシンプルです。私たちは、「生まれがたき人間に生まれ、会い難き仏法に出会う」というきわめて「有難い」状況にあるということです。

 有難い・・・とは、文字通り、 「あることが難しい」、「当たり前ではない」という意味です。私たちは、輪廻を繰り返し、善業を積み重ねて、ようやく人間に生まれてこられたのです。このチャンスを大切にしましょう。

 どのような道から仏の教えに出会っても良いと思います。しかし

法然上人、そしてその直弟子である證空上人の末弟である私は、阿弥陀仏のお慈悲、私たちを何の条件も付けずに救って下さる阿弥陀仏の思いに出会って欲しいと思っていますが・・・

 生きる目的を見失いそうになっているときは、お寺にお参りして、仏様の前で静かに座ってみませんか?仏様の言葉や、道元禅師や法然上人、空海さまなどなど、たくさんの仏教徒の残した言葉を読んでみてください。

 

 明石家さんまという芸人さんが。娘に「いまる」という名前をつけたのは、「生きているだけで丸儲け」という意味だと言われています。本当かどうかはわかりませんが、私たちは、人間に生まれてきただけで丸儲け、生きているだけで丸儲け・・・・というのは本当です。生きる目的に悩む必要は全くありません。

 生まれが立ち人間に生まれ、会い難き仏法に出会っているのですから・・・

 

◎今日の写真は慈雲寺の近くにある有松の旧東海道沿いの町並みです。江戸時代にタイムスリップしたような美しい商家が並んでいます。

12月8日は仏教徒にとって最も大切な日! 成道会のお誘い

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 12月8日はお釈迦様がお悟りを開いたといわれる日です。仏教徒にとっては、一年で最も喜ばしい日と言って良いでしょう。この日に行われつ法要を「成道会」と言います。

 お釈迦様がお生まれになった日を花祭りとして祝うのは良く知られていますが、成道会は地味(?)ですね。でも、もしご近所のお寺で成道会をなさる所があったら、ぜひお参りなさってください。

 慈雲寺でも12月8日10時より、成道会を行います。短い読経の後、お釈迦様の御生涯とお悟りについて少しお話させていただきます。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

 申し訳ありませんが、慈雲寺は十分な暖房の設備がありませんので、どうぞ十分に暖かな服装でおいで下さい。本堂内でもコートを着たままで結構です。ひざ掛けはご用意してあります。

 どうぞご一緒にお釈迦さまのお悟りを喜びましょう。

 

◎慈雲寺へのアクセスなどの情報はホームページ jiunji.weebly.com をご覧ください。

仏法との出会いこそ、生きがい Part1

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 「人身得ること難し、仏法値うこと希れなり、今我等宿善の助くるに依りて巳に受け難き人身を受けたるのみに非ず遭い難き仏法に値い奉れり。生死の中の善生、最勝の生なるべし」道元禅師『修證義』

 

 慈雲寺は法然上人を宗祖として、證空上人を流祖(派祖)とする浄土宗西山派西山浄土宗)に属していますが、周辺に代々住んでいる人の多くは曹洞宗のお寺の檀家です。この曹洞宗のお寺は檀家が非常に多いので、月参りをすることが難しい状態です。そこで、慈雲寺が代わってお参りすることもあります。そんな時は、曹洞宗日課経を読誦しますし、道元さまの『修證義』も拝読します。

 私はこの『修證義』が大好き。文章に勢いがあって、品格があり、道元さまの思いが伝わってきます。道元さまと證空さまは、実は親戚。名目上は兄弟です。一方は徹底した自力、他方は徹底的な他力の信仰ですが、『修證義』を読むと、兄弟に共通する鋭さと優しさを感じるような気がします。

 

 さて、最初に挙げた文章は、この『修證義』の第一章に出てくる言葉です。「人として生まれてくることは難しい。仏法に出会う機会に恵まれるのはさらに稀だ」という認識は、道元さまだけでなく、宗派を超えて説かれていることです。

 仏教は、生きとし生けるものは六道を繰り返し輪廻していくと考えています。そしてこの輪廻の中にいる限りは、苦しみから逃れることはできません。

 しかし、人間に生まれ、仏法に出会うことができれば、悟りを開いて輪廻から脱出することが可能になるのです。お釈迦様八万四千もの「悟りへの道」を説いて下さいました。さらには、その道をたどることが困難なものたちのために、阿弥陀仏が極楽という理想の修行の場を用意して下さっていることも説いて下さいました。

 この「悟りへの道」を示す教えを聞くことができるのは、六道のうち、人間と天人だけです。さらには、人間に生まれても仏法に出会える機会は限られています。人間に生まれて、さらには仏法に出会えたことの幸せを道元さまは「最勝の生なるべし」と強調しています(つづく)

◎総本山光明寺で見た桜の紅葉です。地面に落ちてもなお鮮やかな色を残しているのが、かえって哀れです。

 

 

年末年始の慈雲寺行事のお知らせ

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 12月に入りました。師走・・・・普段は静かに暮らす僧侶も小走りになる月ということでしょうか?全く忙しい要素の無い慈雲寺でも、なんだか気持ちだけはせわしなくなっています。まぁ、何もかも泥縄でごまかさず、コツコツ計画的に進めれば良いのでしょうが・・・

 

 さて、年末年始、慈雲寺も行事がたくさんあります。どうぞ、これを機会にお寺とご縁を結んで下さい。

 

1)12月8日10時より 成道会

 この日は、お釈迦様がお悟りを開かれた日です。仏教徒にとっては、一年で一番ありがたく、嬉しい日のはずですが、お釈迦様がお生まれになった花祭りよりも知られていないような気がします。

 神が一人子をこの世に遣わしたことを重視するキリスト教なら、イエスさまの誕生を祝うクリスマスを喜ぶのは当然だと思いますが、仏教では生まれただけでは仕方がありません。お釈迦様も何度も輪廻なさっていたはずです。しかし、2500年前の12月8日、お釈迦様はついに輪廻の苦しみから抜け出し、真理の世界を開かれ、しかも、その悟りを自分だけもものとせず、私たち末法の凡夫のことまで思いやって教えを説いてくださったのです。

 短い法要とお釈迦様の御生涯についてのお話をいたします。ご一緒にこの良き日を喜びましょう。

 

2)終い弘法は今年は行いません。

毎年、年末の21日の弘法大師の御縁日の日は四国八十八カ所のお砂踏みなどをしていただいていたのですが、今年は法務の都合で取りやめとさせていただきます。申し訳ありません。しかし、本堂は開けておきますので、どうぞご自由にお大師様にお参りして下さい。

 なお、1月21日の初弘法の日はお砂踏みをいたします。

 

3)12月27日10時より 「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」

 身近な話題を取り上げて、仏教の基本的なものの見かた、考え方を学ぶ講座です。「講座」という名前はついていますが、どなたでもお気軽に参加いただけるお話を心がけています。

 12月のテーマは「お寺の本堂には何がある?」です。宗派によって違いはあると思いますが、浄土系のお寺の中に祀られている仏像、高僧像、さまざまな仏具や飾りについて、改めて観察してみましょう。

 

4)12月29日夜7時半より 「満月写経の会」

 慈雲寺では毎月の満月の夜に、お月見を兼ねた写経の会を行っています。7時半から『般若心経』をご一緒に読誦し、その内容についても少しずつ学んでいきます。用具は全て用意してありますので、どなたでもお気軽にご参加下さい。

 

5)12月31日夜11時半より 年越し・修正会

 人出の多い神社やお寺で初詣も良いですが、今年は慈雲寺で静かに年越しをなさいませんか?修正会は、一年の最初、年明けすぐの深夜の行われる法要です。今年の煩悩をいったん手放し、新たな年を静かに迎えましょう。

 

6)新年の『当麻曼荼羅』御開帳

 お正月の三が日、『観無量寿経』に説かれた極楽の姿を描いた『当麻曼荼羅』の御開帳をいたします。ぜひ、年頭にあたって阿弥陀様のと新たなご縁を結んで下さい。朝から夕方まで、いつでもご自由にお参り下さい。

 

 

今夜(11月30日)は満月。お月見を兼ねて写経においで下さい

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 慈雲寺では、毎月、満月の夜にお月見を兼ねた写経の会を行っています。視界を遮られることなく、月がゆっくりと夜空を渡って行くのを眺めることができます。

 今月は11月30日夜7時半より読経を行います。

 7時半から『般若心経』をご一緒に読誦し、その後で心経の内容についても、毎月少しずつ学んでいきます。

 7時半に間に合わなくても、慌てずにゆっくりおいで下さい。また、早めにいらして写経を始めて下さっていてもかまいません。

 

 写経に必要な道具は全てご用意してありますが、筆ペンを用いますので、毛筆を使いたい方はご自分の道具をお持ち下さい。

 

 慈雲寺での写経の会は、おそらく日本で一番ゆるゆる、ゆったり・・・字の上手下手や、集中力のあるなしは全く関係ありません。どなたでもお気軽にご参加ください。

◎慈雲寺での行事は例外を除いては全て無料です。仏様やご先祖への御供養、そしてお寺の維持のためにお気持ちを御喜捨いただければ有難く存じます。

 

先祖供養は何のため? -11月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のご案内

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11月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、29日10時より行います。テーマは「供養」は「法事」の意味や、それを行うことの意義・功徳についてあらためてご一緒に考えてみましょう。

 「講座」というタイトルはついていますが、仏教の基礎を分かりやすくお話することを心がけています。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

 

 私は慈雲寺に赴任するまで40年近くカナダで暮らしていました。カナダでは、中国系や日系の方たちなど、例外はありますが、「先祖供養」というような宗教的な行事をすることはありません。しかし、祖先の話をするのは大好きな人は少なくありません。カナダに移住してきた時の苦労話から、祖先、親類縁者の面白いエピソードは、感謝祭やクリスマスに家族が集まると、必ず繰り返して披露されるので、子どもたちも良くしっています。

 「1829年にグラスゴーからアルバータに移住してきたゴードン・スミスの縁者の方、ご連絡下さい。一族会のパーティをいたします」なんて広告が新聞に出ることも珍しくありません。教会の洗礼記録などから祖先を探すのを趣味にしている人もいます。

 日本では、「ご先祖を大事に」と良く聞くわりには、先祖のエピソードを語る人は少ないように思えます。先祖供養を子孫の「負担」にせず、楽しい宝物にしていくにはどうしたら良いでしょう?

 ご一緒に考えてみましょう。

◎慈雲寺へのアクセスについては、ホームページ jiunji.weebly.com をご覧ください。

◎今日の写真も、総本山光明寺の菊花展で見た大輪の菊です。

会ったこともない祖先の法事は無駄!???? Part2 (11月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のおしらせ)

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 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、11月29日(日)10時より行います。

 テーマは「供養は何のために行うのでしょう?」です。

 このテーマを選んだのは、先月からあちこちで「先祖供養」とか「法事の必要性」などに関する記事を見かけるようになったことがきっかけです。

 先日は、インターネットの投稿を見ていて、偶然下にコピーしたものを見かけました。

◎去年だったか、会ったこともない義祖父の33回忌に来いって言われたわ
自分の祖父の33回忌だって行かなかった(新幹線含め4時間、幼児二人持ち)のに、高速使って2時間とはいえ行きたくなかった
夫は子供に仏教云々~経験させておきたい云々~いったけど、そもそも記憶が曖昧な頃だし、子供にとっての祖父母じゃなきゃ印象にも残らないと思う
下の子が高熱出したから上の子と夫だけ行ったけど、朝早く移動したせいで法事中子供はずっと寝てたらしい 

33回忌ってすごい
よっぽど立派なお家なのね!
うち三回忌以降記憶ないわ。

246: 可愛い奥様 2019/10/09(水) 17:13:56.17 id:bw9vKWO50.net
>>245
全然立派じゃないよ、実家も義実家も特別な家柄でもなんでもなくて、ただ地元の寺から連絡があるだけ
実家は50回忌とかはやらなかったけど義実家はやるんだろうな、きっと

247: 可愛い奥様 2019/10/09(水) 19:20:16.06 id:eecXxFTL0.net
うちはトメですら会った事ない義祖父の50回忌をこないだやったよ
単なるど田舎の農家なので完全に寺の言いなり
なのに遠方の私の祖母の葬儀には旦那来なかったし、なんかむかつくわ

248: 可愛い奥様 2019/10/09(水) 22:03:14.14 id:Pigz1+Eb0.net
罰当たりかもしれないけどさ、
何十年と法事をやるのも限度があるよね
結婚式は一度で終わるけど法事って何年もリピートするから
みんなハッキリ言わないけど
本当は困ってるんだろなって思うわ

253: 可愛い奥様 2019/10/10(木) 11:44:02.65 id:tjIwi2J00.net
お寺が営業?に熱心だと『法事やらなきゃ!』って気にさせられるんじゃない?
自分の実家は祖母17回忌のあと33回忌までやって終わりにするとか言ってた
旦那の実家、田舎で色々うざいのに10年以上前になくなってる義祖母の法事
やってるのか?呼ばれてないだけなのか?
一周忌やったかどうかも覚えてない。。。
でもやらない方が助かるわー

 

 上の投稿が、どれほど法事に関する「一般的感想」なのかわかりませんが、私は「法事」という行事で、親類縁者が集まることに良い思い出しかないので、なんだか不思議な気がしました。

 もちろん、法事を行う家の人々、特に主婦は掃除や飲食の準備、後始末は重労働かもしれませんし、何等かの理由で関係が良くない人に会わなければならないのは辛いという状況も考えられます。

 しかし、会ったこともないご先祖についてエピソードを話して笑う、泣く、感心するといった経験は、親族ならでは。私はあったことのない祖先の話を聞くのが大好きでした。

 曾祖父たちが町に鉄道を引こうと奔走した話、祖父が初めてベンツを買って大はしゃぎ、車体を皇族の方の乗る車と似たような色に塗って警察から大目玉をくらった話、100年近く前に、遠い親戚が金髪のオーストラリア人と結婚して田舎町が大騒ぎになった話しなどなど・・・自分の中にこんな先祖たちのDNAが続いているのだと思うと、本当に楽しい。

 準備や後始末が面倒なら、簡単な仕出し弁当を法事の後でお寺で食べれば良いし、酔っぱらいの面倒が嫌なら、お酒は献杯だけ・・・というのもあり。工夫しだいで、負担も少なく行うことができるでしょう。

 従弟やはとことの交際も人生を豊かにするもの。少子化の今こそ、親戚付き合いは楽しく、気軽にしたいものです。法事はそのきっかけとしてとても良いものなのでは?

 先日、ご近所のK家で350回忌が行われました。これは何ともうらやましいですよね。

 法事の良さは、自分がどこから来たのか、どれほど多くの人との関係で成り立っている人生なのか、改めて考える良い機会なのです。

 先祖供養はけして生きている側からの一方的なものではなく、ご先祖からも供養されているのです。命という大きなプレゼントをいただいていることを改めて感謝し、喜び分かち合う絶好の機会です。

 確かに、遠くに住む親せきが集まるのは時間的にも、金銭的にも負担は大きいかもしれませんが、メリットはそれを上回るはず。自分にまつわる多くの縁を知り、それを楽しんで育つ子どもは本当に幸せだと思います。