「ここにわれらいかなる宿縁にこたえ、いかなる善業によりてか、佛法流布の時にむまれて、生死解脱のみちをきく事をえたる。しかるをいまあひかたくしてあふ事をえたり」法然房源空(法然上人)『登山状』より
上に引用したのは、日本にお念仏の信仰を確立した法然房源空上人(法然上人)のお言葉です。Part1で引用した道元禅師のお言葉と比べてみて下さい。自力と他力の違いはあっても、お二人とも、「人間に生まれ、仏法に出会うことができたこと」が、どれほの僥倖であるのかを強調しています。
自分は何のために生まれてきたのか・・・・
自分は何のために生きているのか・・・・
生きていても意味があるとは思えない・・・・
時として、私たちは生きる目的や意義を自分で疑ってしまうことがあります。しかし、仏教の答えは明確でシンプルです。私たちは、「生まれがたき人間に生まれ、会い難き仏法に出会う」というきわめて「有難い」状況にあるということです。
有難い・・・とは、文字通り、 「あることが難しい」、「当たり前ではない」という意味です。私たちは、輪廻を繰り返し、善業を積み重ねて、ようやく人間に生まれてこられたのです。このチャンスを大切にしましょう。
どのような道から仏の教えに出会っても良いと思います。しかし
、 法然上人、そしてその直弟子である證空上人の末弟である私は、阿弥陀仏のお慈悲、私たちを何の条件も付けずに救って下さる阿弥陀仏の思いに出会って欲しいと思っていますが・・・
生きる目的を見失いそうになっているときは、お寺にお参りして、仏様の前で静かに座ってみませんか?仏様の言葉や、道元禅師や法然上人、空海さまなどなど、たくさんの仏教徒の残した言葉を読んでみてください。
明石家さんまという芸人さんが。娘に「いまる」という名前をつけたのは、「生きているだけで丸儲け」という意味だと言われています。本当かどうかはわかりませんが、私たちは、人間に生まれてきただけで丸儲け、生きているだけで丸儲け・・・・というのは本当です。生きる目的に悩む必要は全くありません。
生まれが立ち人間に生まれ、会い難き仏法に出会っているのですから・・・
◎今日の写真は慈雲寺の近くにある有松の旧東海道沿いの町並みです。江戸時代にタイムスリップしたような美しい商家が並んでいます。