慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

会ったこともない祖先の法事は無駄!????? Part1

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 九州の巡教から無事に帰山しました。通常ですと、巡教に一回出ると、少なくとも4ヶ寺、多い時は10カ所以上のお寺で次々とお説教しながら巡ることになります。

 今年は新型コロナの影響で、行事を中止した寺院がほとんど。それでも、「檀信徒の方が不安になっている時こそ、お寺の役割があるはず」とい考える僧侶もおり、今回は九州でお説教に招いていただいたわけです。

 さまざまな意味で「決断」の必要なことだったと思うので、招いていただいたことが、いつもにも増してありがたく思いました。で、ちょっと張り切り過ぎて、シールドをつけてお話したのですが、ちょっと大声を出し過ぎた・・・飛沫が飛ばないように、マイクを使って小声で静かに話すべきだったと大反省・・・・

 お説教の数はいつもの半分以下でしたが、久しぶり(今年初)の巡教だったので、思ったより疲れました。帰山してからも、ボーっとネットで映画を見たりしていました。

そんな時、目に入ってきたのが下の投稿です。いわゆるまとめサイトというのに出ていました。どうやら、夫側の法事に行きたくないという人の発言から始まっているようです。ここに書かれた対話がどれほど一般的なのかわかりませんが、「33回忌なんて初めて聞いた」とか、「顔も知らない人の法事なんて無駄」という発言が並んでいて、法事はお寺の集金システム・・・みたいな認識なのか?う~~ん。

 40代で亡くなった祖父の50回忌が、本当に楽しかった(私の知らない祖父のエピソードの中に、いくつも・・・それ私もやりそう!と思うことが多くて、たくさん笑った)思い出のある私は、法事はいいものだと思っていたのですが・・・・(つづく)

◎今日の写真は、先日、本山の菊花展で見た盆栽仕立ての菊です。

46: 可愛い奥様 2019/10/09(水) 17:13:56.17 id:bw9vKWO50.net
>>245
全然立派じゃないよ、実家も義実家も特別な家柄でもなんでもなくて、ただ地元の寺から連絡があるだけ
実家は50回忌とかはやらなかったけど義実家はやるんだろうな、きっと

247: 可愛い奥様 2019/10/09(水) 19:20:16.06 id:eecXxFTL0.net
うちはトメですら会った事ない義祖父の50回忌をこないだやったよ
単なるど田舎の農家なので完全に寺の言いなり
なのに遠方の私の祖母の葬儀には旦那来なかったし、なんかむかつくわ

248: 可愛い奥様 2019/10/09(水) 22:03:14.14 id:Pigz1+Eb0.net
罰当たりかもしれないけどさ、
何十年と法事をやるのも限度があるよね
結婚式は一度で終わるけど法事って何年もリピートするから
みんなハッキリ言わないけど
本当は困ってるんだろなって思うわ

249: 可愛い奥様 2019/10/10(木) 00:07:51.99 id:jtUDmkF00.net
>>248
やりたい人だけで無理なくできる法事ならいいけどね。
遠方だろうと義理の家だろうと、呼び出されたら断れないみたいのが良くない。
そして配偶者を連れてくのが当たり前じゃない方がいい。
全然関わりのない人の葬儀なんかも、出る必要ないと思う。

250: 可愛い奥様 2019/10/10(木) 09:12:21.36 id:BM7uGMFe0.net
33回忌って初めて聞いたわ、凄いね
実家の祖父母ですらやって7回忌までだよ
そんなに家のご先祖様が大切なら夫だけで行けばいいのにね
うちの旦那も「俺の大好きな婆ちゃんなんだから家族で墓参り行くの当たり前だろ!」って言ってたけど、葬式も一回忌も小さい子供連れて行ったんだからそれで十分だろ
近くにお墓があるんだから大好きなら普段から墓参りするなり仏壇に手を会わせに行くなりしろよな
普段そうやっておばあちゃんのために何もしないくせにイクメンアピールするために子供と私を親族に会わせようとするの本当にウザい

251: 可愛い奥様 2019/10/10(木) 09:21:45.96 ID:8Zjj4Gn00.net
30前で早世した祖父のなら33回忌やったわ、当時祖母も存命だったし
ただ大往生したような人の33回忌なんてその人知ってる人の方が少なそうw
故人を偲ぶのが法要の意味だと思ってるから無駄なことはしたくないわよねぇ

笑顔も布施行

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 前回の記事で、自らの行動・行為で行う布施行を「身施」というと書きました。お寺でお掃除をすることから、電車の中で座席を譲ることまで、身施はさまざまな形で行うことができます。

 自分のためではなく、他の人のためになることを喜んで行うなら、なんでも良いのです。しかし、どのような立派な行為も「動機」が重要で、「他人に褒められたい・・・」とか、「この行為で自分に何か有利なことが起きれば」と思ってしてはが意味がなくなるのです。

 しかし、私たち凡夫は、動機が純粋でなければ駄目としていまったら、何もできなくなってしまうでしょう。動機はどうあれ、行う方が行わないより良いとすべきかもしれません。

 仏教は「業」という考え方をします。「業」とは、「くせ」と特徴があります。善き行動はさらに善き行いを誘発し、やがて、良き行動が「くせ」になっていくのです。これが「業」の基本です。ですから、きっかけはどうあれ、善き行為には、善き方向性が付き、善き業につながる・・・ま、「もっと褒めて!もっと偉いと言ってくれ!」よいう欲を膨らませ続けたら、それは悪業なのでしょうが・・・

 例えば、柔らかな笑顔で人の心を安らかにすること、励ますことは、もちろん身施の一つであり、善き業につながっていくのです。朝起きたら、まず家族や鏡の中の自分に向かってにっこりしてみませんか?今日も阿弥陀さまに守られ、願われて一日が始まるのですから、笑顔でスタート!

◎京都の庭園で見た美しい苔です。慈雲寺の坪庭も整備したいところです。

身施ありがたし!

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 巡教の日が迫っているというのに、なかなか準備が整いません。私はお説教の原稿をいったんきちんと造り、それから余計なものを外して整えて行くという「編集」方式をしています。まず基礎の原稿を覚えて、それを口で言ってみて時間がどのぐらいかかるか把握します。実際の現場では、お参りに来て下さる方の様子や反応、会場となるお寺の雰囲気などで内容を調整しながら話すので、原稿通りとは言えませんが・・・・

 今回は、この編集作業がなかなかうまくいきません。今年は他のお寺から、お説教にお招きいただくことが全くなく、練習不足と言えるかもしれません。毎月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」も長くお休みしていたし・・・・

 というのは、単なる弁解です。

 そんなわけで、バタバタは続いているので、お寺の内外はカオス状態となっています。そんな時、突然お寺を訪ねて下さった方が、「お庭の掃除をさせてもらっても良いですか?」と聞いて下さいました。以前私が、「身施」についてお話したことを思い出して実行して下さることにしたというのです。

 身施とは、布施行の一つです。布施は、人のためになることをさせてもらうという慈悲の行い。仏教徒にとっては大切な修行の一つです。「お布施」というと、お金でのお供えがすぐ思い浮かぶと思いますが、これは財施といって、人が最も執着しやすいお金や物を手放すという修行につながります。ですから、財施は僧侶への「料金」ではないのです。これはまた別の機会に詳しくお話しましょう。

 もう一つ、大切なのは身施です。これは実際に行動で行う布施。自分がもっとも執着しやすい、「自分の時間」、「自分の労力」を他の人のために使って、手放すことです。執着、こだわりから離れる修行なのです。

 お掃除の身施のお申し出は、今の私には本当にありがたいものでした。門の周辺や墓地の入口にたくさん落葉していて、申し訳ない状態だったからです。

 布施は見返りを求めてはいけないので、お礼を言われるのは迷惑(?)だったかもしれませんが、つい嬉しくて有難くて、何度も「ありがとうございます!」と言ってしまいました。嬉しい・・・・

 いや、「慈雲寺はいつもきれいで身施する場所がない!」と言われるほどでないといけないのでしょうが・・・・

◎今日の写真は先日、慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺で見た菊です。見事に咲いていました。

 

巡教の準備でアタフタ

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 僧侶にとって、仏の教えを皆さんにお伝えする「説教」は大切な役割の一つです。

 私をお坊さんにリクルートしてくれた故橋本随暢師は、慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)屈指の名説教師として知られた方でした。僧侶としての資質に難点あり過ぎの私に師僧は「自分が学んだこと、体験したことを誠実に伝えて行けば良い。説教師として精進しなさい。」と勧めて下さいました。

 

 説教師が、宗門のトップである御法主の「お言葉」を全国各地の檀信徒に伝えるのが「巡教」です。「お言葉」の内容を解説し、それを基にお説教を組み立てていくのは、説教師にとって最もやりがいのあることの一つです。もちろん、とても緊張しますが、楽しい!

 しかし、今年はコロナ禍の影響で巡教を受け入れるお寺がほとんどない状態でした。各寺院では行事の多くを中止していたからです。私は春のお彼岸の時に、九州の寺院を巡教するようにお招きいただいていたのですが、それも中止となりました。

 それから半年、コロナ禍が暮らし、とりわけ人々の心に及ぼす影響は、日々深まっていくばかりです。こんな時こそ、お寺にできることはないのかと、多くの僧侶が試行錯誤している状況です。

 慈雲寺では、寒風吹きすさぶ時でも本堂の扉を開け放ち、三密を避けながら「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を再開しています。これから寒さが厳しくなったらどうすれば良いのか、まだ結論は出ません。

 そんな時、春にお声がけ下さった九州のお寺から「巡っていただく寺院が少なくても来ていただけるか?」と打診がありました。「もちろんです!」と大きな声が出てしまいました。一人でも聴いて下さる方がいらっしゃれば飛んで行くのが説教師です。

 師僧に言わせれば、「誰も聴いてくれなかったら、ご本尊に聞いていただけ」だそうですが・・・

 

 と、いうわけでただ今、巡教の準備でアタフタ。部屋の乱雑さは悲惨・・・でも、掃除もできない奴に説教されたくないでしょうから、今朝はこれからお掃除の予定です。

◎今日の写真は、先日本山で行われた研修会に参加した時に見た、桜の紅葉です。

慈雲寺文庫、急速に充実中!

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 慈雲寺の山門の内側に小さな本棚を置いて、ミニ図書室と設置してからそろそろ一年たちました。

 慈雲寺文庫の本は、本堂に持ち込んで読んで下さっても良いし、自宅への持ち帰りも歓迎。返却して下さっても良いし、そのまま、お友達に紹介して下さっても結構です。

 ご自分が読み終わった本との交換も歓迎ですし、もちろんお買い上げも大歓迎。値段はご自分で決めて、本堂の賽銭箱にお気持ちを御喜捨下さい・・・・

 というユルユル路線で始めた文庫ですが、本のご寄付はもちろん、大小の本棚を寄付して下さる方もあって、急速に蔵書が増えています。

 先日は、段ボール箱7箱いっぱいの本が宅急便で到着。嬉しくて次々開けていたら、玄関わきの部屋がとんでもないカオスになってしまいました。

 また、昨日はお月参りからもどったら、ご近所の家の改修工事に来ていると思われる作業着姿の男性が、お昼ごはんを食べながら、熱心に『太平記』を読んでいました。意外と言っては大変失礼なのですが、なんだかすごく嬉しい光景でした。

 本棚の近くにもお茶の用意をしたくなりました。

 

 本はゴミにしてしまうのは辛いですが、今は古書店でもなかなか引き取ってもらえません。少しでも多くの人に読まれていれば、本も幸せだと思います。慈雲寺文庫が新しい読書のご縁を作る場所になれば良いなぁと思っています。

 

 でも、先日ある方から、「このままだと、収集つかないくらい本が集まっちゃうかもしれないよ」と脅され(??)ました。ま、そんな嬉しい悲鳴状態になったら、また考えましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタリガニと煩悩&お布施

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 私はカニが大好き!冬が来るのが楽しみだと思うほどです。

 上の写真はネットからお借りしたものですが、先日、この写真と全く同じ状態でワタリガニと二杯いただきました。

 僧侶は毎朝托鉢をして、そこでいただいたものを一日の食事とする「乞食(こつじき)」の生活が基本です。どんなものでも、ありがたくいただくのです。肉食を厳しく戒められているタイなどでも、托鉢の時に鶏肉が入ってしまったら・・・食べなければいけないのです・・・・と、タイ人僧侶の友人がちょっと笑いながら教えてくれたことがあります。

 当然、好き嫌いなど言ってはいけません。

 

 と、いうわけで、先日あるお宅に月参りにうかがうと、お布施と一緒にカニがやってきたというわけです。頬がゆるんでしまい、つい「ありがとうございます」と大きな声を出してしまいました。

 布施は見返りを期待しては「布施行」という修行の意味を成しません。ですから、お布施を受け取る時、僧侶は黙って合掌するだけが原則です。私は仏様やお寺への供養を預かるという気持ちなので、「おあずかりします」と言って頭を下げることにしています。他の僧侶が布施を受け取るところを見たことがないので、正解はわかりません。

 托鉢の時は、黙って合掌して頭を下げた後、お念仏をすることになっています。

 

 そうそう、カニの話でした。大好きなカニですから、当日すぐにカニ鍋にしていただきました。それはそれは美味しい出汁がでましたよ。

 この美味しい出汁で、野菜やお豆腐をおいしくいただけば、本当に幸せだったはずです。しかし・・・・カニが大好きな私はつい、カニの身を求めて甲羅や足に手を出してしまったのです。

 ワタリガニは身がたっぷり入っていることはめったにありません。身は細い脚や甲羅の中にほんの少しあるだけです。その身を求めてあちこちの部分を手や箸を使ってせせっていたら・・・・テーブルの上はとんでもない状態になってしまいました。

 「カニ」への執着に翻弄された私の姿です。あちこちに飛び散った殻などを掃除したがら、「トホホ」という言葉はこんな時に使うのだと改めて実感・・・・

 おいしい出汁を楽しみ、大きな足の身をちょっと一口・・・という食べ方でやめて置けば、食後も幸せな気持ちは続いだでしょうに、煩悩に突き動かされて情けないことになってしまったわけです。

 自分の思い通りにしたくて、結局苦しむ・・・執着とは哀しいものです。

 

 ああ・・・でも、またカニ食べたいなぁ・・・・

11月の慈雲寺の慈雲寺

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 11月に入りました。今、窓の外は冷たい風が、いかにも木枯らしという音をたてて激しく吹いています。

 でも、昼間の青空は晩秋ならではの美しさ。冬がやって来るまでの短い間、この空の色を楽しみたいと思います。

 さて、今月の行事のお知らせです。

 

1)11月29日(日)10時より「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」

身近な話題から、仏教というものの見かた、考え方をご一緒に考える会です。「講座」という名称はついていますが、どなたでも気軽に聞いていただける内容を心がけてお話しています。

 11月のテーマは「先祖供養は何のため?」です。年忌法要や祥月命日のお参りなど、供養は何のために行うのでしょう?あらためて、その意義や功徳についてご一緒に学びましょう。

 

2)11月30日(月)夜7時半より 「満月写経・写仏の会」

 毎月の満月の夜に、お月見を兼ねた写経・写仏の会を行っています。7時半からご一緒に『般若心経』を読誦し、その内容についても毎月少しずつ学んでいきます。

 必要な道具は全て揃っていますので、手ぶらでお気軽においで下さい。筆ペンを使いますので、もし毛筆でなさりたい方は、ご自分の用具をお持ち下さい。

 

3)『般若心経』の朝の勤行

 平日は7時半より、土・日は7時より。ご一緒に『般若心経』の読誦で一日をスタートしませんか? 月参りや本山での研修などで、住職が不在の時は、ご自由に本堂に上がってお参りをなさって下さい。

 

4)毎週土曜・日曜 朝7時半より 英会話早起き会

 基礎的な英会話の会です。いつでも気軽にスタートできます。小学生からシニアの方まで、どなたでも歓迎いたします。

 

〇慈雲寺での行事は、特別な場合を除いて全て無料ですが、仏様やご先祖への御供養やお寺の維持のため、お気持ちを御喜捨いただければ有難く存じます。

 

〇慈雲寺の山門にはミニ図書館があります。お寺の中で一休みしながら読んで下さっても良いですし、お持ち帰りも自由。返却して下さっても良いし、読み終わった本との交換も歓迎です。

 

〇慈雲寺は皆さんのお寺です。宗派にかかわらず、どんなことでもご相談に応じますので、お気軽にご連絡下さい。

電話052-621-4045

ホームページ jiunji.weebly.com

 

〇今日の写真は桶狭間にある大池というため池の秋景色です。