慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

ワタリガニと煩悩&お布施

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 私はカニが大好き!冬が来るのが楽しみだと思うほどです。

 上の写真はネットからお借りしたものですが、先日、この写真と全く同じ状態でワタリガニと二杯いただきました。

 僧侶は毎朝托鉢をして、そこでいただいたものを一日の食事とする「乞食(こつじき)」の生活が基本です。どんなものでも、ありがたくいただくのです。肉食を厳しく戒められているタイなどでも、托鉢の時に鶏肉が入ってしまったら・・・食べなければいけないのです・・・・と、タイ人僧侶の友人がちょっと笑いながら教えてくれたことがあります。

 当然、好き嫌いなど言ってはいけません。

 

 と、いうわけで、先日あるお宅に月参りにうかがうと、お布施と一緒にカニがやってきたというわけです。頬がゆるんでしまい、つい「ありがとうございます」と大きな声を出してしまいました。

 布施は見返りを期待しては「布施行」という修行の意味を成しません。ですから、お布施を受け取る時、僧侶は黙って合掌するだけが原則です。私は仏様やお寺への供養を預かるという気持ちなので、「おあずかりします」と言って頭を下げることにしています。他の僧侶が布施を受け取るところを見たことがないので、正解はわかりません。

 托鉢の時は、黙って合掌して頭を下げた後、お念仏をすることになっています。

 

 そうそう、カニの話でした。大好きなカニですから、当日すぐにカニ鍋にしていただきました。それはそれは美味しい出汁がでましたよ。

 この美味しい出汁で、野菜やお豆腐をおいしくいただけば、本当に幸せだったはずです。しかし・・・・カニが大好きな私はつい、カニの身を求めて甲羅や足に手を出してしまったのです。

 ワタリガニは身がたっぷり入っていることはめったにありません。身は細い脚や甲羅の中にほんの少しあるだけです。その身を求めてあちこちの部分を手や箸を使ってせせっていたら・・・・テーブルの上はとんでもない状態になってしまいました。

 「カニ」への執着に翻弄された私の姿です。あちこちに飛び散った殻などを掃除したがら、「トホホ」という言葉はこんな時に使うのだと改めて実感・・・・

 おいしい出汁を楽しみ、大きな足の身をちょっと一口・・・という食べ方でやめて置けば、食後も幸せな気持ちは続いだでしょうに、煩悩に突き動かされて情けないことになってしまったわけです。

 自分の思い通りにしたくて、結局苦しむ・・・執着とは哀しいものです。

 

 ああ・・・でも、またカニ食べたいなぁ・・・・