慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

買い物で迷ったら借金??!

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日光の旧御用邸で見た石楠花です

 朝起きるとき、着替えながらテレビのニュース番組を見ます。ニュースはもちろんですが、私はコマーシャルも気になります。CMは対象者を絞って放送しているでしょうから、その番組を見てる人がどんな人なのかを研究しているはずです。

 今朝気になったのは、金融会社のCM。買い物途中と思われる男性が、服を選んでいるのですが、二着のうち、どちらにしようか迷っている様子・・・お金が足りないようです。そこで場面がショッピングセンターから、湖を見下ろす美しい自然の風景に変わり、「お金が足りなければ、借りれば良いじゃないか!」というメッセージが、なんとも素敵(???)なイメージで伝えられます。

 お金が足りないことで迷うなら、気軽に(!)借金して手に入れれば、悩みは一挙に解決して幸せ・・・・

 

 なんだか、この妙なさわやかさと、「迷ったらお手軽キャッシング」のメッセージがすごく違和感があるのですが・・・このCMを見て、「よし!今度迷ったら、すぐに借りて、すっきり爽やか」と思う人がどれだけいるのでしょうか?

 場合によってはお金を借り、それを生かすことで状況が変わることはあるでしょう。借金がいつも悪いわけではありません。しかし、洋服選びで迷ったときに借金というのはどうなのかなぁ?

 気軽に借金できるとか、クレジットカードのリボ払いとか、一回足を踏み入れたら、爽やかな湖は一挙に泥沼に変化していきかねません。

 「欲しい!」という欲望は限りがないからです。

 仏教では「足るを知る」・・・知足というものを大切に考えます。欲望に翻弄され、いつも「まだ足りない、まだ足りない」という心が私たちを苦しめているからです。

 気軽なキャッシング・・・のイメージを抱えて朝の第一歩を踏み出すのは最悪の一日の始まりでしょう。

今年の勝利者はカラスのエンドウ

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ネットからお借りしたカラスのエンドウの写真です。

 

 慈雲寺の裏手には20坪ほどの空き地があります。将来はイングリッシュガーデン風の庭園にしたいというのが、私の野望ですが、毎年、アッと言う間に雑草に覆い尽くされて挫折してしまいます。

 ここ数年、気がついたのは、年によって空き地を多い尽くす草の種類が違うこと。今年の勝利者はどうやらカラスのエンドウ(カラスエンドウ)のようです。一つの種類がはびこると、他の種類は影を潜めてしまいます。去年はイネ科の植物が勝利者でしたが、今年はほとんど出てきません。不思議・・・

 カラスのエンドウの正式な和名はヤハズエンドウで、原産地は地中海周辺だそうです。もともとは食用に栽培されていたもので、食用にもなるらしい。

 花はピンクの愛らしいもので、えんどう豆のような実もなります。成熟前の豆ならサヤごと食べられるそうですので、チャレンジしてみましょうか?

 

  草引きは、寺院関係者にとっては毎年頭の痛い問題です。雑草一つ無く美しく整得られた境内こそ、「お寺の庭らしい」と感じる方が多いようですから、春の訪れとともに、毎日草引きに励まなくてはいけません。

 しかし、カラスのエンドウもそうですが、雑草も可愛いらしい花を咲かせるものが多くて困ります。懸命に咲いている花を人間の都合でどんどん引き抜いていいのかなぁ・・・と怠け者の私は弁解したくなります。

 ま、表から見えない裏庭のカラスのエンドウには、思いきり咲いてもらいましょう。

 

 

嫉妬はなかなかやっかいな煩悩・・・・4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のご案内

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日光で見た水芭蕉です。

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月25日(日)10時より行います。

 テーマは:妬みと怒りです。

 

 仏教では、「怒り」を毒蛇の毒よりも危険なものと考えます。怒る相手ではなく、怒ってしまった自分自身を傷つけ、不幸にする「毒」なのです。

 「怒り」にもたくさんの種類がありますが、中でも最もやっかいなのが妬み・嫉妬です。単純な怒りは、発散してしまえば、簡単に気持ちが変わることがありますが、嫉妬はなかなか根が深く、心を蝕んでいきます。それが進行すれば「恨み」になっていきます。

 仏教は「嫉妬してはいけない」と禁止するのではありません。「我慢しろ」とも言いません。嫉妬を押さえ込もうとしても、けして抑えられるものではなく、いつか爆発してしまいます。

 仏教は、怒りや妬みは、ものごとを正しく見ないために、私たちが妄想を膨らませて起こると教えています。ものごとのありのまま、本来の姿をきちんと見て判断し、その判断が自己中心的なものでなければ、私たちは怒りや妬みの毒を手放すことができると教えています。

 「正しく見る」ことは、けして簡単なことではありません。しかし、怒りや妬みが「自分を傷つけ、不幸にする毒」としっかり認識して、そこから離れる智慧が、仏教の教えです。

 仏教の説く「怒らないコツ」をご一緒に考えてみましょう。

 どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

 慈雲寺へのアクセスはホームページ(jiunji.weebly.com)でご確認ください。

 

今年の御正当は5月2日(旧暦3月21日)です。御身ぬぐいとお砂ふみをいたします。

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ネットからお借りした、若き日の弘法大師のお姿です。

 今日21日は弘法大師の御縁日です。弘法大師は3月21日(旧暦)に入定されました。入定とは、深い深い禅定(瞑想)の状態に入られたということです。弘法大師は、今も生きておられて高野山奥の院で瞑想しておいでなのです。そこで、毎月の21日を御縁日として、この日にお参りをすると特に功徳があるとされています。

 

 慈雲寺は今は名古屋市の中に含まれていますが、もともとこの辺りは弘法大師への信仰が深い知多半島の文化圏です。慈雲寺にも弘法大師の御像がお祀りされています。慈雲寺の弘法さまのお姿は、とても珍しい若々しいお姿。お肌もつるつるで、ガラス製のリアルなお目が象嵌されているので、瞳もキラキラ。美肌にご利益のある「美肌弘法さん」です。肌のお悩みや健康で美しい肌を求める方々は特にお勧めです。

 弘法さまのお姿は、慈雲寺のホームページ( jiunji.weebly.com )をご覧ください。

 

 さて、慈雲寺では、毎年旧暦の3月21日には、弘法大師の御像の御身ぬぐいを行います。体の中で心配なところをやさしくなぜて、ご縁を深めてください。

今年は5月2日が旧暦の3月21日に当たります。10時から、短い法要を行いますが、一日中いつでも(11時から12時の間は法事があるので、ご遠慮下さい)御身ぬぐいをしていただけます。

 四国八十八箇所の巡礼地から集めたお砂踏みも体験していただけます。一日で、四国巡礼をミニ体験してください。

 

 ところで、今日の写真ですが、弘法大師が手足、口まで使って、それぞれ違う字を書いたというお話に基づいた絵のようです。字がとてもお上手だったという弘法大師らしいエピソードですが、こんな下品(?)なことなさったのかなぁ・・・

 

「国威発揚」のためのオリンピック・パラリンピックなのか?

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ネットからお借りした、パラリンピック種目のゴールボールのイラストです。

 今日はある方とお話したので、パラリンピックのことを考えていました。

 私はバンクーバー冬季オリンピックパラリンピックが行われたとき、通訳としてお手伝いをしたのがきっかけで、パラリンピックの候補選手の海外遠征に添乗員兼通訳として何回も同行したことがあります。仕事としてお受けしたのですが、当時、パラリンピック関係の競技団体はどこも予算的に厳しい状況でしたので、通常の添乗員報酬の10分の1程度の金額を示されましたが、喜んでお手伝いさせていただきました。

 選手たちや、それを支えるコーチなどの役員、そして家族の方々の真摯な態度には、素直に感動したし、やりがいのある仕事だったと思います。ボッチャの国際審判員を養成する講座の通訳として北京に同行したときは、自分も審判員の訓練を受けたいと真剣に思ったほどです。

 さまざまな競技種目の選手たちとお話する機会に恵まれたことは、私にとって学ぶことも多く、貴重な体験だったと感謝しています。

 

 しかし、東京でのパラリンピックの開催が決まってから、選手を取り巻く人々の雰囲気が微妙に変化してきたのです。国からの補助金が増えたことによる、お金がらみの不思議な雰囲気、マスコミに注目される選手とそうでない選手の扱いの違い・・・・私は広告代理店の仕事に少しだけかかわったことがあるので、お金の流れが人の心を変えていく気配に過剰に反応してしまうところがあります。

 

 「東北の復興をアッピールする」とか、「コロナ禍を克服した姿を世界にアッピール」するためのオリンピック・パラリンピックというなんだから、戦時中の「国威発揚」みたいな扱いにも違和感を強く感じています。

 必死に戦う選手たちの姿は、自然に感動を呼ぶものです。しかし、マスコミや政府の対応は、無理やり「感動をありがとう!」という雰囲気を盛り上げようとしているように思えてなりません。コロナ禍で深まるさまざまな問題から、「感動」で目を逸らそうとしているのなら、利用される選手たちが気の毒です。

 

 僧侶はたとえスポーツでも「争いごと」は避けるべきでしょう。ましてや、ここまで商業化し、利権の巣窟のようになってしまったオリンピックに関わるのはどうなのかなぁ・・・と思い、少しずつパラリンピック関連の仕事から遠ざかってしまいました。今では、遥か彼方の出来事のようです。しかし、お会いした選手たちが今も競技を”楽しんで”いてくれることを祈らずにはいられません。

 

ミャンマーの尼僧たちは今?

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インターネットからお借りした、ミャンマーの僧侶の写真です

 

 連日のミャンマーの報道を深い哀しみと憂慮の気持ちで見ています。テレビのニュースなどで、抗議行動の状況が映ると、そこに僧侶の姿が時々見えています。

 ミャンマーは九割以上の国民が真摯な仏教徒だと聞いています。日常生活の中に深く僧侶がかかわっており、教育や福祉に果たす役割も大きいそうです。

 ミャンマー上座部仏教の国ですから、僧侶はひたすら悟りを開くことを目指して修行を続けているはずで、俗世のこと、とりわけ政治と係わることは修行の大きな妨げになるのでは?と思っていたのですが、どうやらミャンマーでは僧侶も政治に深く係わっているようです。

 今回の抗議行動でも、仏教界の中では軍事政権を支持する僧侶もいるとのことで、なかなか状況がクリアに見えてきません。

 BBCのニュースがこのことを取り上げています。ミャンマー抗議行動と弾圧、仏教界も意見分かれる - BBCニュース

 日本の仏教界では、まだ正式に意見を表明している宗派は少ないようですが、同じ仏教国の僧侶として、考えるべきことはたくさんあると思います。

 

 そこで気になるのは、ミャンマーの尼僧たちのことです。ミャンマーでは、女性は正式な出家者とは認められず、尼僧は「剃髪した女性在家修行者」というとらえられかたをしているそうです。このことについて詳しく書かれた資料がなかなか見つからず、困っているところなのですが・・・・以前読んだ記事の中で、「なぜ尼僧になりたいと思ったのか?」と聞かれた尼僧が、「(尼僧は)幸せそうだったから」と答えていたのが、強く印象に残っています。

 「慈雲寺の庵主さんは幸せそうだ・・・出家して尼さんになりたい・・・」という方が現れたら本当に嬉しいですよね。

 

 

 あのミャンマーの尼僧たちは、今、どのように考え、行動しているのでしょうか?尼僧寺院に直接支援する方法がないか、思案しています。

 

 

竹の子をゆでて幸せな雨の日

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 今、外は土砂降りです。生まれたばかりのメダカの赤ちゃんがいる水鉢を屋根の下に移したり、本堂の雨漏りの様子を見たり、けっこう朝から忙しい週末になりました。

 そして、昨日いただいた竹の子を茹で始めたところです。いただいてすぐに茹でるべきでしたが・・・・・

 私は竹の子が大好きです。慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺京都府長岡京にあります。長岡京は竹の子の名産地。収穫の季節になると、あく抜きをしなくても良いほど新鮮な竹の子を食べさせてもらえました。

 光明寺の直檀家のかたがたがお供えしてくださるのです。とびきりおいしい竹の子のおかげで、すっかり竹の子好きになった私・・・慈雲寺に来てからも、竹の子のお供えがあると、阿弥陀様へのお供えもそこそこに、お下がりをいただいてしまいます。

 

 お寺では、「お仏飯のお下がりをいただく暮らし」が基本です。慈雲寺の周辺では、自分の家庭で食べる野菜は自分で作るという方がまだたくさんいらっしゃいますから、作物ができるとお寺にお供えしてくださるのです。

 お米も、収穫して最初の新米をお寺に持ってきてくださいます。

 季節を感じながら暮らせることはとても嬉しい。毎月、お墓参りの後に庫裏に立ち寄ってくださって、お寿司を差し入れしてくださるかたも!手作りのクッキーやら、新しいレシピの試作品(?)もお供えしていただけます。こんなときは、阿弥陀様へのお供えは3分ぐらい?阿弥陀様も、「もう少し香りだけでもかがせて!」とおっしゃっているかもしれません。

 

 このようなお供えは、「布施」という修行です。大切な労働やお金を使って得たものを仏様にお供えし、僧侶に施すことは、煩悩から離れる修行に他ならないからです。

 これに対して、僧侶は「法施」をさせていただくことが大切です。仏様の教え(真理=法)を伝え、誰もが心安らかに生きていくために役立つことをさせてもらうのが、僧侶にとっての修行、法施という布施行なのです。

 う~~ん・・・私は今のところろくに法施できてないなぁ。

 

 竹の子が茹で上がったら、傘をさしてご近所の花屋さんに仏花を買いにいきましょう。