慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

「毒親」と中陰のお勤め

f:id:jiunji:20150131184417j:plain

 今朝の中日新聞に「親が子供の毒になる?」というタイトルの特集記事が出ていました。親子関係はなかなかに複雑で、近しいからこそ「愛情」と「毒」の境目は微妙になりがちです。親子関係の難しさは親の死をきっかけに噴出してしまうこともあるのだと思います。

 去年の夏、「直葬とはいわないまでも、できるだけ簡単にお葬式をして欲しい」という方から慈雲寺にご連絡をいただきました。じっくりお話ししてみると、長年亡くなった母親との間にわだかまったものがあり「死んでも葬式なんかしてやるものか!」と思っていたのだそうです。でも、少しずつお話しして、簡素ながらきちんとした儀礼にのっとり、丁寧に葬儀を営むことにしました。すると結果的には「心のわだかまりがかえって溶けていくようだ・・・」と言っていただきました。七日ごとの中陰のお参りもきちんと勤められ、これによって少しずつ整理がついて行くと感じていただけているようです。

 49日までの中陰のお勤めというのは、亡くなった方の供養はもちろんのことですが、さまざまに絡み合った人間関係を癒す期間としても意味も大きいのではないでしょうか?関係の一方が亡くなってしまうと、わだかまったものを修復する機会は失われてしまいます。しかし、葬儀や中陰、年忌、月参りなどの回向をし、それによって自分の思いや態度を振り返ってみることによって、さまざまな気づきがあることでしょう。怒りをゆるしに変えなければ、自分の苦しみは相手が亡くなっても終わらないのです。

 親子関係は「愛に満ちていて、良好なのが当然」とされているために、そうではないことがあると当事者の苦しみは他の人間関係よりもずっと深いものになります。仏教の教えは、こうした苦しみに向き合い、ゆっくりじっくり癒していく教えです。

 心が苦しいとき、どうぞお寺に来て静かに座ってみませんか?手ぶらでいらしても写経のできる用意もしてあります。

・今日の写真は真冬のナイアガラの滝です。水しぶきが霧となり凍りついて巨大な氷柱ができています。こんなに巨大な氷も、春になれば少しずつ融けてやがて消えてしまいます。