慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

世界の宗教に目を向けましょう。Part1 世界の終末と宗教

 

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以前、私が「尼僧になったきっかけを教えてください」というご質問をいただいたことがあります。しかし、何か大きなきっかけがあったというようり、長い時間をかけて筋道が作られたのだと思います。これをご縁というのかもしれません。

 私の宗教的背景からたどってみましょう。私の祖母は熱心な日蓮宗の信者でしたが、父は「戦争のときに、神も仏もあるものかと思った」と言って神社でも頭を下げない人でした。母は神社仏閣に敬意を払うものの、特定の宗教の信者ではありませんでした。

 私は、先日書いたように、中学一年のときに友人を突然亡くしてから、「人間は必ず死ぬ。しかもいつ死ぬかわからないあやういもの」であることを知ってから、宗教に興味を持つようになりました。しかし、特定の宗教に入ったわけではありません。成長するにしたがって、その興味は「人間にはなぜ宗教が必要なんだろう?」という疑問に変わっていきました。歴史上のさまざまな紛争が宗教的な背景を持っていることにも興味がわいてきました。

 そして、カナダの大学院に進学するとき、比較宗教哲学を専攻することにしたのです。修士論文のテーマは、世界のさまざまな宗教の持つ「終末論」、すなわち“世界が終わるときどのようなことが起こり、その後どうなるか”という考え方を比較しました。この経験が私を仏教徒へと導いてくれたのだと思います。

 さて、終末論の代表的なものがユダヤ教キリスト教イスラム教の流れです。仏教にも弥勒信仰と呼ばれる終末論的な考え方もあるのです。天理教大本教のような、いわゆる新宗教も強烈な終末思想から始まっています。

 どの宗教でも、組織が安定してきたり、社会環境が落ち着いてくると強烈な終末論はトーンダウンしてくることが多いのです。しかし、状況が変われば、また「この世の終わりは近い!」という考え方が浮上してくることもあります。終末論が強まると、極端な行動に出る人々が現れる可能性も高まります。

 日本人の多くは宗教的に寛容・・・言い換えればいい加減・・なので、他の宗教的規範にしたがって厳格行動する人を必要以上に恐れたりしがちです。また、他の宗教的規範(食べ物の禁忌や服装など)に対して十分な配慮をしないことも少なくありません。日本には世界の宗教についてやさしく比較解説した本がたくさんありますから、ぜひ読んでみてください。

 その上で阿弥陀様へのお念仏の信仰に目覚めてくだされば幸いです。私にお手伝いできることがあれば、ぜひお寺においでください。

・今日の写真は、幕末から明治にかけて特異な作風で世界的に有名な河鍋暁斎が描いた「釈迦如来図」です。一般的なお釈迦様とはずいぶんイメージが違いますね。苦行を捨て、中道を選ぶことで悟りを得た直後のお姿でしょうか?