慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

月参りの功徳

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 今朝、月参りに出かけると呼び鈴を押してもお返事がありません。忘れちゃったのかな?ちょっとがっかりしながらトボトボとお寺に戻りました。

 慈雲寺の周辺には月参りの習慣が残っています。先代様はいわゆる「村の尼僧さん」として、宗派に関係なくたくさんの家々を回って月参りをしていらしたそうです。大きなお寺ですと、全ての檀家さんの月参りを受けることが時間的に無理なので、「村の尼僧さん」に代理でお参りを頼むわけです。

 慈雲寺には、他宗派で日常の勤行用の経本が何種類もあります。先代さまは、宗派によって読経の種類を変えていたのでしょうか?それとも、「どのお経もお釈迦さまの御教えだから、浄土経典を読むわ。」というお考えだったのでしょうか?私は先代様から直接教えていただく機会がほとんどなかったので、ときどき色々な疑問がわいてきます。

 先代様の日程を見ると、毎日何カ所もお参りに行っていたようです。お体を悪くして自由に歩けなくなってからは月参りはやめてしまわれたのです。私が着任してから、少しずつ「またお参りに来てください」と頼んでくださいます。

 月参りにはさまざまな功徳があると言われています。毎月一回、仏壇の周辺を改めて整え、花やお供えをして仏様を供養し、ご先祖への回向をする。祖先と自分の縁を思い、命と人生について改めて考えるとても良い機会になります。きっと心がすっきりとしますよ。心の中に何かわだかまっていることがあったら、お月参りにいらした僧侶と話してみてはいかがでしょう?仏様やご先祖さまもきっと智慧を貸して下さるはずです。

 月参りは、私にとってはとても大切な修行の場です。それぞれのお宅の奥まであがり、大切にされているお仏壇でお勤めするのは、本堂での読経とはまた違う心持ちになるからです。また、読経の後にその家の方とお話しできるのも嬉しいことです。

 今は、皆さんから土地の歴史や習慣などについて教えていただくのが特に楽しい。将来は、何か私にできることがあったら気軽に相談してもらえるような信頼関係を築くことができれば良いなぁと思っています。

◎今日の写真はウズベキスタンの伝統的な人形です。同じような顔立ちのお爺さんなのですが、持っている物や表情にはたくさんのバラエティがあります。この人形はスイカを抱えて嬉しそうですね。