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先日、「慈雲寺ではペット供養をしてくださいますか?」というお問い合わせをいただきました。私が慈雲寺に赴任してから、ご近所の方やご縁のあった方などから、数件同じようなご依頼をいただき、御供養させていただいたことがあります。
ペットの供養について、いくつか考えていることがあります。
①最近のペット供養の「ブーム」には、疑問を持っています。
昨年、東京で「エンディング産業見本市」というものを見学に行きました。墓石の業者からお棺、霊柩車、遺品整理の専門家まで、人生のエンディングに関連した様々な業者がブースを出していました。
その中で、ひと際華やか(?)だったのがペット供養の関連商品の展示でした。可愛らしい色や形の骨壺、自宅で遺骨を供養するための祭壇、墓石などなど、業界はペット供養を大きな市場として重視していることが良くわかりました。
私も犬を飼ったことがありますので、ペットを手厚く葬りたいという気持ちはよくわかりますが、この華やかな展示ブースには、あまりにたくましい商魂のにおいがして、かえって哀しくなりました。
また、妙に派手で、可愛らしさを強調したものばかりなのは、やはり需要に応じたものなのでしょう。つまり、飼い主の中には、ペットを「愛玩」、言い換えれば、おもちゃやアクセサリーのように扱っていたのではないかと疑問がわいてきたのです。
ペット供養で派手に宣伝しているお寺にも、なんだかうさん臭さを感じてしまうことがしばしばあります。ペット用の火葬場を併設したり、ペットと飼い主が一緒に入れる墓地まで用意しているお寺もあります。ペットの供養とは、仏教的にどういう意味があるのでしょう。その宗教的な根拠はどこにあるのでしょう?
単なるお金儲けの手段になってしまっていないか、気になるところです。
◎今日の写真は知多半島の内海の海岸です。