ペット供養の仏教的根拠について、私の思っていることを少し書いてみます。
前回お話ししたように、慈雲寺でもペットの供養のために読経させていただいたことは何回かあります。その際には、必ず以下のお話し飼い主の方にお伝えしています。
仏教では、生物は六道という六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を永遠に生死を繰り返して輪廻していると考えます。各世界で生きているうちの行為や縁によって、次に生まれ変わる世界が決まっていきます。大事なポイントは、どの世界に生きることも「苦」だということです。天人の住む天上界ですら、生老病死の四苦は容赦なくやってきます。
仏の教えを聴き、この輪廻のサイクルから抜け出してお浄土(極楽)に往生させていただこうとするのが、浄土教の教えの基本です。極楽の主である阿弥陀仏は、全ての衆生を一切の条件を付けずに極楽へ迎え取って下さいます。しかし、阿弥陀仏のお慈悲、願いに気づくことがなければ、また輪廻のサイクルに飲み込まれてしまいます。
今、私たちは幸いなことに人間に生まれ、お釈迦様が説かれた教えを仏典を通して聴くことができるのです。仏語を聴くことができるのは、人間と天人だけです。私たちは、長い輪廻の末に、このチャンスに恵まれたと言って良いでしょう。
さて、『阿弥陀経』によれば、極楽には動物(畜生)はいません。美しい鳥がいるという描写はありますが、これらの鳥は、本当の動物ではなく、阿弥陀仏のお慈悲の象徴だと解釈されています。
ですから、飼い主とペットが、極楽で「ペットと飼い主」として再会することはないと思います。しかし、飼い主がたっぷり愛情をかけて育て、ペットの方も飼い主に心の癒しを与えていた場合、きちんと供養をして見送れば、そのペットが人間や天人に生まれ変われるチャンスは大きくなるのではないでしょうか?
やがて、全ての生きとし生けるものは極楽に迎え取られます。ですから、いつかペットも人間か天人に生まれて極楽にやってくるでしょう。ペットと飼い主という姿で再会はできないでしょうが、深い愛情に結ばれていれば、必ずお互いの縁を感じることができると思います。
◎今日の写真は、有松絞で有名な有松の旧家で見た桃の花です。