慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

法然→證空→聖達→一遍へと受け継がれた「信」の問題 Part1

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 上の絵は、インターネットからお借りした一遍上人のお姿です。なかなか強烈な印象のお顔ですね。私は、大学生になった頃、京都の清凉寺で、一遍上人の絵姿を初めて見ました。「何だこの人?!」とかなり強く心に残りました。清凉寺の有名な「生身の釈迦像」よりずっと印象的。この人はいったい何に突き動かされているのだろう?と、不思議に思ったのです。

 日本に「南無阿弥陀仏」のお念仏の信仰を確立したのは法然源空法然上人)です。そして、20年以上にわたって法然のそばに仕え、師の最も円熟した思想を直接受け継いだのが善慧房證空(西山上人)です。

 後に時宗の開祖となる一遍は、最初比叡山で天台の教えを学びますが、末法の時代にふさわしい教えを求めて山をおり、聖達の弟子になります。聖達は證空の弟子で、当時西山義と呼ばれていた人々のひとりです。

 一遍は、非常にユニークな宗教者として語られることが多いのですが、その思想の根底に流れているのは、證空が法然から受け継いだ「全分他力」の信仰なのです。(続く)