慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

瀬戸内寂聴上人を悼む

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寂聴上人の晩年のエッセイ

 本山で講習会があったので、しばらくテレビやインターネットから離れていました。山を下りて来たら、瀬戸内寂聴上人の御遷化のことを聞きました。ニュース番組やワイドショーなどで今日は一日中、上人のお話ばかりでしたが、なんだかどの報道も心に響かなくて少し困っているところです。

 

 いろいろな宗派の尼僧さんとお会いする時、ときどき寂聴上人のお話が出ることがあります。少し意識的にお話を振ったことも・・・・単なる偶然かもしれませんが、私がお話した全ての尼僧さんが「寂聴さんは嫌い!」と結構ぼろくそに悪口をいうのです。

 嫌いな理由を聞くと、「ふしだらで、下品な小説を書く人だから。出家を利用している」と言う人が多かった・・・・でも、さらに質問をしていくと、その尼僧さんたちは寂聴さんに会ったこともないし、法話を聞いたこともないし、小説さえ読んだことがないようでした。

 悪口の向こうに何やら「うらやましい」という気持ちが透けて見えた人も少なくありません。

 これは私の想像ですが、さまざまな事情で仕方なく出家した人、僧侶になってからの生活に何かと不満のある人、周囲に集まってくる人が少なくて寂しい人などが、寂聴上人の「華やか」な生き方を妬ましく感じてしまうのではないでしょうか?

 違うといいけど・・・・

 

 というわけで、私は寂聴上人の著作、そして瀬戸内晴美の小説の大ファンというわけではありませんが、尼僧という生き方を「選択肢」の一つとして示した功績を讃えたいと思います。また、戦争や原発の問題にキッパリした発言をし続けたことにも(彼女の意見にいつも賛同したわけではありませんが・・・)、深い敬意を払いたいと思います。

 寂聴上人とは、一度だけ法話の会に参加させていただいて遠くからお目にかかったことがあるだけです。すでに80代の後半だったと思うのですが、表情がとても豊かでチャーミングな声だったのが印象的でした。

 法話は、あちらこちらに話が飛んでいるように聞こえますが、だんだんと仏教的なものの見方、考え方へとお話が誘導されていって、すべての人の心に仏がいるという仏性のお話になっていました。優れた小説を書き続けてきた方だけに、法話の構成もしっかりしているのが感じられました。天台の僧侶としての自覚をきちんとお持ちだったのでしょう。

 

 来年一月から『般若心経』のお話をカルチャーセンターでする予定なのですが、寂聴上人のベストセラー『寂聴 般若心経』は欠かせない参考書です。

 寂聴上人の力量とセンスが伝わってくる、嶋中書店発行の『美しいお経』は、悪口を言っていた尼僧さんたちにぜひ読んでいただきたいものです。経典に説かれた教えや物語の美しさが短い文章で良く伝わってきます。

 

 寂聴上人は今生で悟りを開かれて輪廻から離れられたのか、それとも六道のどこかに転生して修行を続けられるのでしょうか?いずれにしても、あのチャーミングな声で笑っておられるような気がします。