慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、7月17日(日)10時より行います。テーマは、お盆の起源と言われている、目連尊者と地獄へ落ちてしまった彼の母親のお話です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

25日に岐阜の中日文化センターで「終活」のお話をさせていただきます。

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世間が桜の開花で騒がしくなっている今日この頃。梅や椿はひっそりと花の季節を終えようとしています。

 

 先日、慈雲寺で行われた月例の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」には、40人近くの方が来て下さり。とてもありがたく思いました。極楽の様子を描いた「当麻曼荼羅」もご一緒に拝んでいただいて、お彼岸らしい良い一日になったと思います。

 

 さて、今週の金曜日、25日の午後2時から、岐阜市の中日文化センターで、「尼僧と考える本当の『終活』」と題する一日セミナーをさせていただけることになりました。

 日本に戻って来て、「終活」という言葉を初めて聞いたときは、きちんと準備をして、残された人たちへの思いやりを感じさせる行動なのだろうと思ったのですが、どうもそうではなさそう・・・・

 「終活」というからには、自分の人生を振り返り、自分の「死」を見つめて、最後までどのように生きていくのか、ということについて考えるのが第一歩だと思ったのですが・・・・週刊誌などの「終活特集」は、お値打ちな葬儀の手配、自分の葬儀について細かく指示、遺産の分配についての指示、お墓のことなどなど、心の問題は一切無視・・・

 残される人々への「おもいやり」は、主として経済的なことばかり・・・・終活の第一歩はお坊さんに(牧師さんにでも良いですが)会いに行こう!とならないのはなぜなのでしょう?

 よい看取り方、よい看取られ方については気にならないのでしょうか?

 

 というわけで、日本に戻って以来、ずっと心に重く積み重なっていることをお話したいと思っています。

 

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