慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

8月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、8月21日(日)10時より行います。テーマは「そもそもカルトって何ですか?」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

「南無」ってなんでしょう? Part 1

犬山市明治村で見た、「なんじゃもんじゃの木」です。花がぐしゅぐしゅしていて、なん
だか可愛らしい。                                  

 

 僧侶同士で話をしていると、お互いに「当然知っているはず」の言葉は、きちんと考えないままに使ってしまっていることがあります。「当然知っているはず」の言葉ですから、しっかり考えておかなければいけないのに・・・

 

 今日は、ときどき「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」に来て下さる方が、「うちにお参りにくるオッサンは『ナモアミダブツ』と言っているように聞こえるのだけど、庵主さんは『ナムアミダブツ』と言っているように聞こえる。違う言葉なのか?」と質問して下さいました。

 「南無阿弥陀仏」のお念仏は、私たち浄土系の僧侶にとって、基本中の基本。このご質問にも、当然しっかりお答えしなければ!と思ったとたん、結構緊張してしまいました。

 「南無」ということばは、南無阿弥陀仏だけでなく、「南無妙法蓮華経」から「南無大師遍照金剛」など、たくさんの例があります。「南無」とはなんなのでしょう?

 

 まず、この「南無」という漢字自体に意味があるのではありません。これはサンスクリット語の間投詞「ナモ(नम namo)」を音写した漢訳仏教語です。発音としては「なも」の方が原語に近いかもしれません。同じ音写でも那謨」が使われる例もあります。これは「なも」と読むしかないですね。

 今もインドでは、人と出会って挨拶をするとき合掌して「ナマステー」と言います。これも、「ナモ」と関連した言葉で、ナマス(namas 礼します) + テー(te あなたに対して)という敬意を表す言葉です。

 合掌して、たがいに敬意を表すなんて、とても素敵な慣習ですね。ただし、同じインド人でも、イスラム教徒の人たちなどは、この挨拶をしませんから要注意。

 

 仏教的な意味合いで「南無」が使われるときは、一般に「帰依します」という意味に解釈されます。「南無妙法蓮華経」なら、「法華経の教えに帰依します」という意味ですし、「南無大師遍照金剛」なら、「弘法大師の教えに帰依します」という、信仰の宣言のようなものと考えて良いでしょう。

 しかし、この「帰依」とは、どうやらかなり奥のふかいもののようです(つづく)