慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「南無」ってなんでしょう? Part 1

犬山市明治村で見た、「なんじゃもんじゃの木」です。花がぐしゅぐしゅしていて、なん
だか可愛らしい。                                  

 

 僧侶同士で話をしていると、お互いに「当然知っているはず」の言葉は、きちんと考えないままに使ってしまっていることがあります。「当然知っているはず」の言葉ですから、しっかり考えておかなければいけないのに・・・

 

 今日は、ときどき「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」に来て下さる方が、「うちにお参りにくるオッサンは『ナモアミダブツ』と言っているように聞こえるのだけど、庵主さんは『ナムアミダブツ』と言っているように聞こえる。違う言葉なのか?」と質問して下さいました。

 「南無阿弥陀仏」のお念仏は、私たち浄土系の僧侶にとって、基本中の基本。このご質問にも、当然しっかりお答えしなければ!と思ったとたん、結構緊張してしまいました。

 「南無」ということばは、南無阿弥陀仏だけでなく、「南無妙法蓮華経」から「南無大師遍照金剛」など、たくさんの例があります。「南無」とはなんなのでしょう?

 

 まず、この「南無」という漢字自体に意味があるのではありません。これはサンスクリット語の間投詞「ナモ(नम namo)」を音写した漢訳仏教語です。発音としては「なも」の方が原語に近いかもしれません。同じ音写でも那謨」が使われる例もあります。これは「なも」と読むしかないですね。

 今もインドでは、人と出会って挨拶をするとき合掌して「ナマステー」と言います。これも、「ナモ」と関連した言葉で、ナマス(namas 礼します) + テー(te あなたに対して)という敬意を表す言葉です。

 合掌して、たがいに敬意を表すなんて、とても素敵な慣習ですね。ただし、同じインド人でも、イスラム教徒の人たちなどは、この挨拶をしませんから要注意。

 

 仏教的な意味合いで「南無」が使われるときは、一般に「帰依します」という意味に解釈されます。「南無妙法蓮華経」なら、「法華経の教えに帰依します」という意味ですし、「南無大師遍照金剛」なら、「弘法大師の教えに帰依します」という、信仰の宣言のようなものと考えて良いでしょう。

 しかし、この「帰依」とは、どうやらかなり奥のふかいもののようです(つづく)