慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

説教師隨麗、お説教の準備でバタバタ

慈雲寺で最初に咲き始める盆梅は、満開になりました。

 

 宗派によって多少の違いはあるでしょうが、僧侶の「学び」の方向は大きく三つに分かれています。一つは「法式」。宗教儀礼や儀式に関することです。もう一つは「教学」。それぞれの宗派の教えを深めること。そして最後が「説教」です。これは宗派の教えを広めていくためのものです。

 本来、僧侶はこの三つの方向、全てについて常に研鑽することが求められています。しかし、それぞれの僧侶は得手不得手があるので、だいたいの人はどれか一つを選んで学びを深めていきます。

 私は三つとも情けない状況ではあるのですが、いちおう「説教師」という選択をしています。最大の理由は、私を僧侶にして下さった師僧が、宗門一の説教師だったからです。特別に師僧から訓練を受けたということはないですし、私はカナダにいたので、師僧と会う機会も残念ながらとても少なかった。しかし、お会いしたときには、必ず何か気づきや教えをいただきました。このことだけでも、私は恵まれた僧侶だと思えるほどです。

 説教師は、もちろん「教学」に関する知識もなくてはならないのですが、これも幸いなことに、お隣のお寺のご住職は、私たちの宗門の明日を担うと期待されている仏教学者。この方にも、お会いするたびに、私は「説教のネタ」をいただいています。

 説教師にとって最も重要な研鑽はお説教をさせてもらうことです。コロナ禍で、さまざまな行事を中止するお寺が多かったので、説教師が呼ばれる機会もここ数年とても少なかったのですが、ようやくぽつぽつの変化が見えてきました。

 今月は和歌山に呼んでいただいたので、今はその準備でバタバタしています。いや、「バタバタ」準備をしているようでは駄目なのですが、まだまだ未熟が説教しである私は資料をひっくり返したり、声を出して練習したりと落ち着きません。

 でも、呼んでいただけたのはとても嬉しい。梅林で有名なところなので、花が咲き残っていることを祈っています。そんなこと気にしている場合ではないですが・・・