慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

仏教の考える「中道」は<真ん中>ではない。

 水がぬるんで鯉たちも元気に泳ぎ始めたようです。のんびりしているようでも、サバイバルにはそれなりの苦労があるのかも・・・

 

 今日24日で、ロシアの<ウクライナ侵攻>から一年がたちました。今朝の勤行では、ウクライナ、ロシア両方の戦争犠牲者のご供養をさせていただきました。東方教会ではどのような祈りがささげられたのでしょうか・・・・

 

 仏教は「中道」という言葉をよく使います。ものごとの解決にむけての仏教徒の立ち位置の基本です。これは「中立」や「真ん中」というのとは根本的に違う考え方です。「中道」とは、何に対しても過度にこだわらない、偏らないという態度、見方です。

 例えば、今日の新聞報道やテレビの報道では、明らかに一方を<正義>、一方を<悪>とみなすものでした。悪側の戦闘行為は卑劣でしかも追いつめられている。正義側は世界中の支持を得て、果敢に戦っており、それを支持するのは当然だという論調です。

 問題の解決のためには、「正義が徹底的に悪をほろぼす」というのをゴールに設定するのは上策とは言えないでしょう。

 仏教は争いごとのたいして、一方に偏していくのではなく、まず双方の主張の妥協可能なポイントを探していく姿勢をとります。目標はどちらかの勝利ではなく、<今すぐの停戦>であるべきだからです。

 もちろん、これは理想論で、戦争はそんなに甘いものではないでしょう。しかし、宗教者が理想をかかげないで、誰が<灯り>を掲げるのでしょう。

 

 ウクライナの友人からは、まだメールの返事がきません。ロシアで働く知人はどうしているでしょうか?今日は一日、哀しい気持ちで過ごしました。