今朝(3月11日)は、どのニュースも東日本大震災のことを取り上げていました。これから朝の勤行を行うのですが、犠牲者の方々に廻向させていただこうと思います。
もう12年たつのかとさまざまな思いがあふれてきます。当時は復興に何かできないかと、いろいろバタバタと動きまわっていたこともあるのですが、時間がたつにつれて金銭的な寄付以外のことはしなくなってしまいました。この12年の自分の行動を思うと、非常に忸怩たるものがあります。
もう一つ、三月は心が重くなることがあります。東京大空襲です。1944年の11月から翌年の8月15日までの間、東京には106回の空襲がありました。特に45年3月10日の「大空襲」では10万人以上の犠牲者がでました。上の写真はアメリカ軍が撮影した空襲後の東京の様子です。
私の母方の一族は東京の下町に住んでいました。この空襲で親族や友人、知人をたくさん失っています。亡くなった方の哀しみ、苦しみはもちろんですが、けが人や死者を目の前にした記憶を抱えて戦後を生きた人々の哀しみも如何ばかりかと思います。
祖母は長い間、この空襲について語ることができませんでした。
戦争はもちろん人間が引き起こしたことで、どうすれば避けることができたのか、二度と戦争を起こさないため、巻き込まれないためにできることはないかと地道に模索していかなければならないでしょう。宗教者としてできることは何かと思い悩みます。
地震は天災ですが、福島原発の問題のように、被害を防げた、小さくできた可能性もあるのではと思います。復興に自分がどうかかわって行かれるのか、行かなければならないのか、今日はゆっくり考えてみたいと思います。
梅も咲き、3月は春らしい心弾むことも多いのですが、人間の現実を思えば、哀しいことが続く月でもあります。