私はライターとしてのキャリアをカナダの小さな地方新聞の記者から始めました。そして今、一周回ってまたローカルの新聞の記者をしています。今朝は朝の勤行を終えるとすぐ自転車に乗って警察へ行き、その後はブロッコリー畑、そして竹藪を整備したら見つかったという巨大な桜の古木の取材をしました。
忙しい一日でしたが、こんな風に過ぎていったのは、ある意味有難かったです。10年前から、毎年、3月11日が来るたびに「自分はライターとして何をすべきだったのか?僧侶としてできることはなかったのか?」と自問しては、心が哀しく、萎えてしまっていたからです。
取材を終えて帰宅したら、目の前の本棚に『河北新報のいちばん長い日』があるのに気が付きました。仙台の新聞社、河北新報が自社も記者たちも東日本大震災の被害にあいながらも取材を続け、新聞を発行し続けた記録です。
3.11に関しては、さまざまな報道がされましたが、私はこの河北新報の報道が一番信頼でき、かつ新聞記者の在り方を示すものだと思っています。何度も繰り返して読んだこの本がまた私を呼んでいたのかもしれません。
今日は、朝は犠牲者の方々の供養をさせていただき、夜はこの本を読みながら過ごしました。
10年といっても「区切り」などであろうはずがありません。「復興」への道のりは長く、「復興」とは何かという根本的な問いかけも繰り返されるべきでしょう。
「復興の姿を世界に見せる」というオリンピックの旗印が、いかに愚かなものであったのかも、改めて思った一日でした。