慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「他人の不幸」では幸せにはなれない

 今朝、冷蔵庫を開けてみたら、ここ数日買い物にもいかずに引きこもっていたせいで朝食の材料が何もなかった・・・・しかたがないので、ご近所の喫茶店にモーニングをいただきに出かけました。

 レトロな雰囲気でご近所さんの「溜まり場」になっているこのお店。コーヒーが美味しいでけではなく、備えている新聞や雑誌をじっくり読める雰囲気がナイスです。

 久しぶりに週刊誌を手に取ってパラパラと見ていきます。男性向けの雑誌は、あいかわらず血圧と血糖値、株価の動きと介護の話題です。終活系の記事は一段落したのかな?

 一方、女性週刊誌は、女優さんの不倫問題や皇室のお悩みの話題がずらり。女性週刊誌の基本的なテーマは、どうやら「他人の不幸は蜜の味」なのではないかと思えてきました。自分より少し「うらやましいポジション」にいると思われる人の不幸は特に美味しいらしい。

 女優の不倫など、全くの無関係でも心地良く(?)批判できるところが良いのでしょうか?う~ん・・・・でも、「他人の不幸」で練り上げられた蜜などいくら舐めても、自分が幸せになることはないと思うのです。

 「私はこんな罪作りなことはしない!」とか「私は家族のために耐えているのだし、正しい生き方をしているから、この女優より幸せなはず」という思いを代弁しているかのような記事の論調です。

 仏教では、他人と比べることによって生まれる「幸福感」や「満足感」は単なる転倒した幻想だと教えています。幸福感に満ちた穏やかは暮らしは、自分の足元をしっかり見つめ、他の人のためにできることを淡々と行っていく日常から生まれてきます。

 たまに週刊誌を読むことは「世間」を知る手がかりになるのではと思うのですが、読み終わった後は、ちょっと心が汚されてしまったような気がします。私の中にも、ひよっとしたら「不幸の蜜」を舐めてみたい気持ちが少しあるのかもしれませんね・あぶない、あぶない・・・