私を僧侶にして下さった師僧、橋本随暢上人の十三回忌のため、和歌山の南部(みなべ)へ出かけた二日後、随暢上人の御内室、知子夫人の訃報が届きました。
兄弟子から「和歌山まで来てくれたばかりだし、お知らせはするけれど葬儀への参列は心配しないで」という電話を受けたのですが、私はその場で葬儀への参列を決めました。
知子夫人のことは「お母さん」と呼ばせていただき、本当に大事にしていただきました。「師僧のためには指一本動かさん子や!」と笑いながら叱られたこともありますが、この冗談が冗談でないほど、私は師僧にも知子夫人にもご恩返しをしていませんでした。
自分が弟子を持つことになって、ようやく師僧、そして夫人の努力、献身を感じるようになっていたところでした。
師僧の葬儀の時は、通夜式には参列できたものの、翌日どうしても欠席できない用事があり、師僧の葬儀に参列することができませんでした。私はそのことが、とてもとても悔やまれなりません。その用事など、済んでみれば大したことではなく、また別の機会もあったはずのことだったからです。師僧を見送る方が、何倍も大切だったし、自分の僧侶としての大切な「修行」の機会でもあったと、師僧の命日のたびに思ってきました。
そのことがあったので、知子夫人の葬儀には弟子として最後まで参列させていただこうと、骨上げから中陰の供養まで残っていました。
炉前の供養から骨上げまでは2時間半ほど時間があったのですが、師僧と夫人の中の良い姿や、知子夫人からかけていただいた言葉が次々と思い出されて、時間が飛ぶように過ぎていきました。
知子夫人は97歳の大往生。広々とした斎場がぎっしりと埋まるほど多くの方が参列し、たくさんのご縁を紡いできた夫人の努力と人柄が偲ばれる葬儀でした。