上の写真の猫は、お寺の周辺に住み着いているらしい野良猫です。シャム系のような感じで、もしかしたら元はどこかに飼われていたのかもしれません。
お寺のすぐ近くの家で餌を貰っていたようなのですが、そこの住人のおばあさんが施設に入ってしまい、すっかり痩せてしまったのですが、私が餌をやるようになってから健康そうに戻ってきました。もしかしらた他の餌場もあるのかも?
この猫は、私を見ると足に体を摺り寄せたりするのですが、触ろうとするととても怯えた様子で嫌がります。
餌を皿にたくさん入れておくと、全部食べてしまうので猫の適量というのがわからない私は心配していました。そこで、ご近所で地域ネコの世話や、保護ネコなどをしているKさんに相談してみました。
「一度飢えた経験のある猫は、目の前に食べられるものがあれば、全部食べようとしますよ。お腹がいっぱいになっても、吐きながら食べることさえあります。」とKさんは痛ましそうな目で猫を見て言いました。
私たちも、煩悩に振り回され、「もう十分」と満足して幸せを感じることはなかなかできません。もっと、もっとと貪欲に欲しがります。「貪り」こそが私たちを追い回し、苦しめているのです。
「小欲知足」というのは禅のお坊さんが良くおっしゃることばですが、足るを知る、「これで十分」と自らを満たしていく幸せを大事にしたいものです。
しかし、この野良猫のように、飢えた経験があると、なかなか足るを知る幸せに出会えないかもしれませんね。私たちは何に飢えているでしょう?
お金ですか?名誉ですか?ブランド物ですか?愛情ですか?
自分が何に飢えており、貪ろうとしているのか、一度勇気を出して自分を見つめてみてはどうでしょうか?
仏教では「諦め」ということを重要視します。この諦めはギブアップのことではなく、ものの本来のありかた、事実、実情、自分の気持ちなどを「明らかに見る」という意味です。
自分の欲望、貪りの気持ちを「諦め」てみましょう。