今朝、メダカに餌をやろうとしたら、小さな水鉢に住まわせていた四匹が全滅していることに気がつきました。昨日は、少なくとも二匹が水面に上がってきていたのに・・・寿命とも考えられるし、私の世話が十分ではなかった可能性も高い。朝から、とても悲しい気持ちになってしまいました。
「趣味は何ですか?」と聞かれたら、以前なら旅行と読書と答えるところですが、このごろの読書は仏教関係やお説教の資料ばかりなので、これは趣味とは言えないでしょう。旅行もこのごろはすっかりご無沙汰。以前はたくさん旅行しましたが、そのほとんどが旅行ライターとしての「お仕事」だったので、これも趣味とはいいにくいところです。となると、今の趣味は「メダカの飼育」と「地域猫の世話」ということになりそうです。
慈雲寺には大きな土管を利用した瓶が二つあります。今、片方には大人のメダカ。もう一つには生まれてからまだ一ヶ月もたたない幼魚が居ます。大人の瓶には、卵を生み付ける浮子を浮かべていて、卵が生み付けられたら、すぐに幼魚用の瓶に移しています。そのままにしておくと、生まれた子供が大人に食べられてしまうことがあるからだそうです。
どうやら卵は無事に孵化しているようで、針子と呼ばれる稚魚がたくさん泳ぐようになりました。針子が無事に成長するかどうかは餌のやり方が大きな影響を与えるそうで、うまく餌が食べられず餓死してしまうのも多いと聞いたので、これからのの数ヶ月はハラハラしてしまいます。餌をやり過ぎるのもいけないそうなので・・・・
もう一つの「趣味」の地域猫。私はもともと犬派で、いつか犬を飼いたいと願っているところです。しかし、このごろはお寺にやってくるシャム猫のような野良猫が気になります。朝、台所にで洗い物などをしていると、勝手口でニャーニャーないて餌をほしがります。以前は慈雲寺のすぐ下にある家のおばあさんに餌を貰っていたようですが、その方が施設に入られてから、どうやらこの猫にとって、慈雲寺は重要な餌場になったようです。
この猫は時々私に体をこすりつけて甘えてくるのですが、こちらから撫でようとすると身をよじって嫌がります。それでも逃げてはいかない。なかなか仲良くしてくれません。思い通りにならないところが、猫の良さなのかしらん?
命に責任を持つのはなかなか難しいものです。メダカや猫の命の綱を握っていると思うと、正直、少し負担です。
そう思うと、父母がどんな気持ちで私たちを育て、どれほど苦労したのかと思うと、言いようのないほど有り難く思えてきます。