慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「自殺予防週間」の始まりの日に

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 今日、9月10日は「世界自殺予防デー」です。16日までの一週間は「自殺予防週間」として、自殺を予防するためのさまざまな取り組みについて、より多くの人に知ってもらうための活動が世界各地で行われます。

 この世界自殺予防デーは、2003年に世界保健機関(WHO)が中心となって行われた国際会議で決められたものです。世界の自殺者の数は年間約100万人。ゆるやかなカーブで推移しているものの、年々数は増えています。40秒に一人は自ら命を絶っていることになります。

 そして、その20倍以上の自殺未遂者がいると推測されています。

 日本では、約3万人の自殺者が毎年報告されています。この膨大な人数を思うたび、端くれとはいえ、宗教者として生きている私は深い敗北感に襲われます。

 WTOは自殺の予防手段として、各国政府に以下のような取り組みをするように求めています。

 

■自殺の道具(農薬、薬物、銃など)に簡単にアクセスできないようにする。

精神疾患(特に
うつ病アルコール依存症統合失調症)患者の治療に取り組む。

■自殺未遂を起こした人の経過を追跡調査する。

■メディアは責任のある報道を行う。

■医療従事者を訓練する。

 

 この中に、「宗教」や「宗教者」に関する指摘はありません。WTOの立場としては、「宗教者よ、もっとできることがあるだろう?!」とは言えないのかもしれませんが・・・宗教者に対する期待がないのは、とても残念に思えます。

 心は重い日は、慈雲寺に行って、ボンヤリしよう。阿弥陀様のそばでゆっくりしよう。慈雲寺の庵主さんとちょっとお茶のんで話をしよう・・・と思っていただけるお寺、僧侶でありたいと願っているのですが、まだまだ模索中です。

 慈雲寺の本堂は日中、いつでも開いています。お茶も用意してありますので、どなたでもご自由に、阿弥陀仏のおそばでユッタリ過ごして下さいませ。私は指導も説教も、答えをお教えすることもできないかもしれませんが、あなたのお話しを聴かせていただくことはできます。一度自分で言葉にすれば、光が見えてくることもありますから・・・

 

◎今日の写真は、カナダのバンクーバー島の月夜です。

 

勝本華蓮著『尼さんはつらいよ』のご紹介 Part2

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 今年の7月5日に書いたブログ(左欄のアーカイブ記事から引き出せます)で藤本華蓮師の『尼さんはつらいよ』という本をご紹介しました。藤本師は、天台宗で得度なさって、比叡山で修行なさった方ですが、さまざまな体験をなさった後に、今はお寺には住んでいらっしゃらないようです。

 一時は尼寺に跡継ぎとして入られたようですが、そこから出られたということのようです。「ようです・・・」ばっかりなのは、どうも最後のところが明確には書かれていないので、推測するしかないのです。

 例えば、私の属する西山浄土宗では、どこかの寺院の住職になっていない僧侶は、必ず誰かの弟子になっていなければなりません。弟子を持てるのは住職だけなので、弟子はその寺院に属することになります。私が弟子を持てば、その人は「慈雲寺資」ということになります。どこのお寺の「資」でもない、フリーの僧侶というのは認められていないので、必ずどこかのお寺に属し、その寺の住職の弟子とならなければなりません。もちろん、名前だけの弟子というのも少なくありません。実際には僧侶としての生活はしていないけれど、僧侶資格を維持しようと思えば、どこかのお寺の「資」として登録されなければなりません。

 もし、師僧との関係がうまくいかず、弟子の立場から離されるとしたら、次の師僧が見つからない限り、その人は僧侶であり続けることはできなくなります。

 勝本師も、天台の僧侶として、今もどこかのお寺の「資」なのでしょうか?師僧との関係や、住職の代替わりなどで、師弟の縁に変化が出たときの、哀しい(生臭い??9お話しも、『尼さんはつらいよ』に詳しく書かれています。

 私は、さまざまな偶然と、良き人間関係に恵まれ、慈雲寺へのご縁ができて、そのまま一切の苦労はないまま住職になりました。苦労しているのは、情けない住職を迎えなければならなかった、慈雲寺を支えてきた人々でしょう。

 万事はご縁。勝本師が体験した「尼さんの暮らしのつらさ」は、私は今のところほとんど経験していません。ですか、勝本師が本の中に挙げた、さまざまな「辛い」例もまた尼僧の現実だと言わなければならないでしょう。(つづく)

◎今日の写真はエクアドルの教会で見た聖母子像です。三日月の上に乗っているのが興味深いですね。

お墓も納骨堂も“最先端”でない方がよさそうです。

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 昨日の北海道の地震でさまざまなことを考えました。地滑りなどの犠牲になられた方のご供養を今朝の勤行でさせていただきました。

 一番強く印象に残ったのは、もちろん犠牲者の方々のことですが、泊原発で外部電源が喪失したために大事故につながりかねなかったという記事にも強い不安を感じました。

 私たちの暮らしが電気に大幅に依存していることは否定できないし、これからもその度合いは深まるばかりでしょう。しかし、電気は停まることもあるし、なんにせよハイテク設備と並行してアナログのものも残しておくべきだと思うのです。

 私がカナダで暮らしていたとき、真冬に送電線に氷がたくさん着いてしまい、送電塔がドミノ倒しのように次々と倒れてしまった事件がありました。真冬のことでしたし、停電は長期にわたったので、電気で暖房を行っていた家では凍死者も出るほどでした。点火は電気だったので、ガス暖房も無力でした。住宅はセントラルヒーティングが普通なので、日本のように石油ストーブがどの家もあるということもありません。助かった家の多くは、薪を燃やす暖炉を持っていました。

 私は、パソコンもカメラも使いますし、ハイテクの恩恵は十分に受けていて、ありがたいと思っています。しかし、「最先端」は、完成したその瞬間に古くなっしまうものです。常に更新しなければなりません。

 それよりも、電気も機械も使わない、伝統的なものの良さも忘れてはならないでしょう。その代表的なものがお墓と納骨堂です。

 今、名古屋にも大規模な納骨堂が建設されています。その中の多くが自動式搬送式のものです。カードを入れると機械がお骨を参拝場所まで自動搬送してくれるというわけです。室内でお参りできるし、掃除やお世話も不要。ロビーも参拝エリアも一見ゴージャスです。

 しかし、電気やコンピュータを使う機械、システムはエラーや停電の可能性があります。今は最先端でも、アッと言う間に古くなってしまう。きちんとメンテナンスをしてくれるのか心配です。

 それより、自分の手で雑草を抜き、花を供え、厳かな雰囲気の石のお墓の良さも大切です。公営の大規模墓地も良いところはたくさんありますが、やはり墓地は寺院と一体になっているのが一番だと思います。毎日の読経が聞こえ、信仰の場にお墓があることは、特別な安寧を家族にもたらしてくれるでしょう。

 もちろん、信頼できる僧侶がいるお寺であることが大切です。

 慈雲寺に墓地を持っていてくださる方々が、安心して、「お寺参り、お墓参りに行くと気持ちが穏やかで、すっきりする。」と言っていただけるようにならなければいけませんね。まだまだ精進が必要のようです。

◎ 今日の写真は、インターネットの無料素材画像からお借りした、おそらくヨーロッパの納骨堂です。

 

 

大難を小難に・・・・弘法大師が頑張ってくれたのかも?! (台風の被害ご報告)

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 昨日の台風21号、各地で大きな被害が出たようです。亡くなられが方もおいでのようです。明日の朝の勤行の時に御供養させていただこうと思っています。

 さて、実は慈雲寺も被害がでました。本堂の南側のガラス戸が強風で外れ、その勢いでガラスが割れてしまいました。本堂のガラス戸には雨戸が付いているのですが、何しろ100年以上前の建物なので、雨戸がスムースには動きません。だいぶ頑張ったのですが、脇壇に一番近いガラス戸だけは、とうとう諦めてしまいました。

 そして、今朝本堂を開けてみたら、ガラスが散乱していたというわけです。

 ところが、床はほとんど濡れていませんでした。名古屋周辺は、昨日昼過ぎから激しい暴風雨になりました。夜7時すぎまで、雨戸をドンドンとたたかれるような勢いでした。もし、暴風雨のピークにガラス戸が外れていたら、きっと床がびしょ濡れでしょうし、瓔珞などにも被害が出たはずです。

 しかし、倒れていたのは、私の父と、今、慈雲寺にホームステイしてくださっているNさんのお父様のお位牌だけでした。いったい、いつガラスが割れ、そのガラスを割った風は本堂に吹き込んだとたんに力を失ったのでしょうか?さらに、驚いたのは、脇壇にお祀りしてあった、弘法大師さまの手が少し濡れていたことです。雨が吹き込んだのでしょうが、それならなぜ床は濡れていなかったのでしょう?

 不思議、不思議・・・・なんだか、お大師さまが、私の父とNさんのお父様を指揮して、ガラス戸が飛ばされないように押さえてくれたのではないかと思えるほどです。

明け方近くになって、暴風雨が収まったので、三人が少し油断したところに、台風の最後の尻尾が一撃を加えてきたのではないかしら?

 ともかく、大被害になるかもしれなかったのに、ありがたいことです。まさに大難を小難に変えてくださったのですね。

 明日は街へ出て、父とNさんのお父様の好物をお供えしようと思います。弘法大師さまは何がお好きなのかしら?

◎今日の絵は、インターネットの無料画像からお借りしました。弘法大師が手足全部を使って、文字を書いているところです。昨夜は、こんな風に大活躍してくださったのかもしれません。

台風接近・・・ラッパが鳴り響きそう!?

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 今年最大の台風が近づいています。どうやら、伊勢湾から知多半島はほぼ直撃状態になりそうです。慈雲寺の本堂の屋根瓦・・・頑張って欲しい!!

 でも、今のところ空は本当に美しい。その美しさが、かえって何やら禍々しいものが近づいてくるのを知らせているような感じです。妙に乾いたような風も不気味。

 いろいろな色の雲がどんどん形を変えて飛んでいきます。輪郭が金色に輝いている灰色の雲、白磁のような質感の白い雲・・・ラファエロの絵みたいな形の雲も見えてきました。

 今日の夕方が楽しみ。地獄の門が開いたみたいな夕焼けになるかもしれませんね・・・暗褐色の雲がパッカンと割れて、大きなラッパを持った七人の天使が舞い降りてくるかも??あ、これは聖書の黙示録の世界の終わりの描写です。

 今日の絵は、ネットの無料画像からお借りしたのですが、ダンテの『神曲』の挿絵かな?今、窓の外の雲はこんな感じです。

 

 

「学校、無理」。そう思ったら・・・お寺に来ませんか?

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 今朝の中日新聞の朝刊の第一面の見出しは

 

‟「学校、無理」。そう思ったら   

悩みを聞いてもらって■居場所は他にも”

 

 でした。もうすぐ夏休みも終わるので、この時期に子供たちの自殺率が上がることを懸念しての記事でしょう。

 この見出しは、私の心に強く響きました。私も小学校の時に残酷ないじめにあっています。担任の教師は「あなたが、男の子に逆らってなまいきだからよ。」と言っただけでした。いじめのリーダーの親はある宗教の地域の有力者で、担任が「忖度」した可能性が強いと思われます。

 でも、私は不登校にはなりませんでした。両親が早々に転校を決めたからです。その転校は、手続き的にも、経済的にも簡単なことではありませんでしたが、両親の即断には今も感謝しています。

 しかし、いじめによって受けた傷は、私の人生や性格に大きな影響を及ぼしたことは否めません。

 私は受験勉強を含めて、学校教育というものを大事なものだと思っています。自分で行動し、ものを考える基礎力を作る筋トレのようなものだと思うからです。しかし、それだからといって、学校に絶対行かなければいけないとは思っていません。

 「学校、無理」と思ったら、行かなくても良い。別の行き場所も、別の居場所もあるからです。

 私は慈雲寺がそんな場所になれば良いと思っています。時々子供たちが本堂で宿題をして、お茶を飲み、お菓子を食べて帰る様子を見ると、とても嬉しくなります。兄弟がうるさくて、親と喧嘩したから・・・一人になりたい・・・そんな時、慈雲寺に行ってみようと思ってくれる子供(大人もシニアも)は大歓迎です。

 慈雲寺に来たら、別に何をしなければいけないということはありません。私は「指導」も「説教」もするつもりはありません。慈雲寺にある本を読んで、仏さまの前でゴロゴロしても良いし、写経や写仏をしてもいい。

 体が動かしたかったら、掃除や草引きを気が済むだけ手伝ってください。義務はいっさいありません。

 もし、学校へは行きたくないけれど、家に籠るのも嫌というのなら、とりあえず、お寺まできませんか?

 もし、学校には行きたくないけれど、勉強が遅れるのが心配というのなら、英語だけでもお手伝いします。一つの教科だけでも得意になれば、学校も少し違った場所になるはずだからです。

 慈雲寺の本堂はいつでも開いています。やさしいお顔の阿弥陀様や弘法大師さまがおられますから、お顔を眺めながら、ボーっとするのもおすすめです。本堂は風が通って心地良いですよ。

◎今日の写真は慈雲寺の本堂です。小さなお寺ですが、静かで落ち着けますよ。

◎もし、フリースクールなどのように、子供たちの居場所作りに場所が必要でお探しの方がおられましたら、どうぞ慈雲寺にお声がけください。できる限り協力させていただきたいと思います。

 

花戦さは先々代様の勝ち?!

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 境内の草引きをなまけていたら、おもしろいことがおきました。砂利が敷いてある所のあちこちから、ニチニチソウが生えてきたのです。「あらあら・・・」と思う間に、まだ小さいのに花を咲かせました。肥料をやったりしているわけではないので、ご近所の庭のニチニチソウの背の高さの三分の一ぐらいの弱弱しい姿です。

 去年の夏も、数本生えているのは見ましたが、今年はもう二十本以上花を咲かせています。早くタネを残したいと思っているのか、どんどん花が咲くのも少し痛々しい感じ。せめて、水やりだけは朝晩してあげることにしました。

 そんな時、長く慈雲寺とご縁のある方が訪ねていらして、このニチニチソウを見てビックリ顔。私が自然に生えてきたのだと説明すると・・・・

 「あらまあ、オオセンセイの花が蘇ってきたのね!」とニコニコ。

 私は、先代様がなくなる少し前に弟子にしていただいたので、先代さまのことも良く知りません。ましてやオオセンセイ(先々代の住職をこう呼ぶ方が多い)の日常生活のことはほとんど知りません。ですから、思い出話は大歓迎。

 詳しく聞いてみると、境内の花に関して、先代と先々代の間には、かなりなバトルがあったようです。オオセンセイは、おっとりとしたお嬢様気質の方。先代は万事きちんとしたことが好きな方でした。オオセンセイは花を育てるのが好きで、境内にもカラフルな花を植えていたそうです。今、ニチニチソウが顔を出したあたりも、かつては花壇だったとか。

 しかし、先代さまが住職になると、お寺の境内に派手な色の花は不要ということになり、仏花も赤やピンクの花は禁止。白やせいぜい黄色の菊ぐらいということになりました。もちろん、花壇も撤去され、白い砂利が敷詰められたのです。

 しかし、ニチニチソウはしぶとかった・・・先代様が御遷化されて4年。跡継ぎの住職は何かにつけてゆるゆる・・・というのが花にも伝わったらしく、ニチニチソウが復活したのでしょう。

 来年は、葉が顔をだしたら、きちんと植木鉢に植え替えてあげることにしましょう。そうすれば、花壇復活も可能になるかもしれません。

 オオセンセイと先代様の花の戦さは、どうやらオオセンセイの花の勝ちのようです。

◎今日の写真は、インターネットの無料画像からお借りしました。植え替えてあげれば、こんな風に大きくなるのかな?