慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

ご縁の輪が広がって・・・・

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 昨日(4月29日)の中日新聞に、慈雲寺の住職に赴任してから今までに自分やお寺に起きたことなどを書いた文章を掲載していただきました。(東京新聞には5月3日と10日に掲載されます)。なんとも取り留めののない文章で恥ずかしいばかりなのですが、「新聞を読みました」とお寺に電話をして下さる方が何人もいらっしゃいました。今朝になっても、「今日、そちらへお参りに行っても良いですか?」というお電話をいただいたほどです。

 どんなきっかけでも、慈雲寺にご縁を結んで下さる方が増えるのはありがたいことです。また、これをきっかけに、慈雲寺に限らず、「ご近所のお寺にお参りしてみようか・・・」と思って下さる方が増えたら、なおさらに嬉しいことです。

 

 お寺はご先祖を御供養させていただくという大切な役割がありますが、それ以上に、生きている人々の心の悩みを癒し、問題に取り組む勇気と慈しみを養う場所です。

 新型コロナの問題が広がるなかで、目を背けていたり、先送りにしていた問題と嫌でも向き合わなければならなくなっている人も多いことでしょう。

 こんな時は、ご近所の静かなお寺や神社に行ってみませんか?あまり人けのないところが良いですね。静かに手を合わせれば、自然に呼吸が柔らかになってきます。

 

 私は僧侶として何ともポンコツですので、「正しい道」を指し示すことはできませんが、ご一緒に阿弥陀さまに祈ることはできます。お話をうかがう耳ももっています。どうぞ、どのようなご相談でも、ご遠慮なくお声がけ下さい。

 

 ◎慈雲寺では毎朝、7時半から『般若心経』の読誦を中心にした短い(15分ほど)法要を行っています。入退室は自由ですし、どなたでも歓迎です。

 本堂の扉を大きく開け放っていますので、暖かな服装でおいでください。マスクもお忘れなく。

 御経巻の共有も避けたいと思いますので、ご自分の『般若心経』をご持参ください。お持ちでない方には、古いものですが、ご用意してあります。

 

 

桶狭間の慈雲寺では、朝の勤行が続いています

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 昨日、「お寺にお参りに行きたいのですが、よろしいですか?」というお電話をいただきました。

 慈雲寺はいつもどおり、本堂は夕方遅くまで本堂は開いています。いつでも、どなたでも、本堂にお上がりいただいてお参りをしていただけます。

 新型肺炎のことが話題になって以来、さまざまなことが「諦らか」(あきらか)になってきています。「諦」という言葉は、お釈迦様のお悟りの内容を語るときに使われる重要なことばです。

 一般には「諦める」という使い方をしますが、仏教的には、けしてギブアップの意味でつかわれるわけではありません。これは、現実をしっかり見つめ、あきらかになった真実のすがたをしっかり受け止めるという意味です。

 私たちが日常、目をそむけてきたことが、今回のことで諦らかになっていることがたくさんあります。自分たちの命のはかなさ、不要不急のものへの執着、家族の絆の現実などなど・・・・お釈迦様が問いかけた人生の真の姿があきらかになっています。

 そんなときこそ、仏さま、とりわけ阿弥陀仏の暖かく、穏やかな慈悲のまなざしに気づく機会でもあります。

 どうぞ、お寺にいらして下さい。ゆっくりと阿弥陀さまに向き合えば、不安でいっぱいの心が静まっていくでしょう。

 

◎慈雲寺では、毎朝7時半から朝の勤行を行っています。どなたでも参加していただける、『般若心経』を中心にした短い勤行です。途中の入退室もかまいません。

 本堂は開け放って、風が十分入るようにしておきますし、椅子の間隔も大きくあげます。どうぞ、暖かな服装でおいでください。マスクもお忘れなく。

 お経巻も共用しないようにしたいと思いますので、できれば、ご自分の『般若心経』をご持参ください。お持ちでない方には、古いものですがご用意します。

 

◎本堂が開いているときは、いつでも写経をしていただける用意がしてあります。初めての方は、庫裏(本堂の右側の建物です)にお声がけいただければ、ご説明させていただきます。

 

◎今日の写真は、慈雲寺に祀られている弘法大師のお像です。慈雲寺は浄土宗西山派西山浄土宗)に属するお寺ですが、名古屋周辺から知多半島にかけてはお大師さまへの信仰の篤いところなので、慈雲寺にも祀られているのです。

 慈雲寺の弘法大師は、他の多くのお寺とは違い、とても若々しいお姿です。目にはガラスの玉眼が使われており、力強く、生き生きとした表情です。

 各地で疫病の退散にも力を発揮されたと伝えられるお大師さまにも、ぜひお参り下さい。

こんな時だからこそ、仏教を学んでみましょう。 part5 釈迦の出家の動機(その1)

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 藤の花が咲き始めました。私はこの花が大好きで、名古屋周辺の藤の名所を訪ねるのを楽しみにしているのですが、ここ数年はタイミングを逸してしまっていました。今年も「名所」を訪ねるのは無理なようですね・・・・

 このところ、カナダ、台湾、シンガポール、上海の友人から、「今の暮らしはこんな感じ」というメールを次々と受け取っています。幸い、私の知人、友人、そしてその人たちに縁が深い人たちは新型肺炎に罹患した人はいないようですが・・・もはや、時間の問題かと思います。

 その友人たちのメールを読むと、日本とくらべて政府や自治体の行動はどこも「素早く」、「現実的」で、「信頼」に値するものに思えます(上海はちょっと別ですが・・・)。もちろん、すべての政策が的を射ているわけではないようですが。

 それに比べて日本の政府や政治家、官僚の動きを見ていると、不信感でいっぱいになります。新型肺炎の「禍」に隠れて、もっと議論が必要な法案をこそこそ通そうとしたり、政府の不正を隠蔽しようとしたり・・・・自民党の独走をゆるしてきたのは選挙民である私たち。そのつけを今、激しい痛みとともに払わされているのかもしれません。

 

 さて、お釈迦様の生涯を改めて学んでみましょう。釈迦な何を悟ったのかを考える前に、彼の出家の動機に戻ってみましょう。

 『本生経』(ほんじょうきょう)には、修行に入られる前の釈迦の暮らしについて、くわしく述べられています。

 釈迦が生まれたとき、8人の占相術師が宮殿に呼ばれました。釈迦の姿を見た占相師のうち7人は「もし俗世にとどまるなら、正義によって国々を治め、世界を支配する転輪王となるでしょう。もし出家すれば仏となるでしょう」と予言しました。さらに最後の一人は「この方は必ず出家し、尊い仏となって、人々を苦しみと悩みの海から救い出してくれるでしょう」と断言しました。

 それを聞いた釈迦の父は、出家だけは何としても阻止しなければと考え、出家の動機となりそうなことを一切排除するよう家臣に命じました。

 釈迦は、しおれた花やかれた枝も目に触れることのないように、細心の注意をはらって、この世の苦しみ、醜さ、哀しみから遠ざかる暮らしをしてきました。

 しかし、聡明な釈迦は美しい花や美女に囲まれていても、朝霧が草花の上に作った露が消えてしまうことや、蜘蛛の巣などを目に触れるたびに、少しずつ「避けて通ることのできない命の苦しみ、哀しみを感じるようになってきたのです。(つづく)

こんな時だからこそ、仏教を学んでみましょう。 part4 お釈迦様の伝記を読み返す

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 お釈迦さま開いた悟りの内容のお話を始めようとしたら、「家にいる時間が長くなったので、この際だからお釈迦様の生涯を学びなおしてみたい。どの本がおすすめですか?」という質問を受けました。

 たしかに、一度、誕生から大涅槃まで、お釈迦様の生涯、とりわけ出家を決意するまでの生活を繰り返し振り返ってみるのは大切なことだと思います。

 私のおすすめの本はいくつかありますが、読みやすいということでしたら、津田直子さんの『釈尊ものがたり』(大法輪閣)がおすすめです。この本は、『大法輪』という雑誌に連載されていたものをまとめたもので、南伝大蔵経に収められている『本生経』というお経を基に、お釈迦様の生涯を童話や説話のような語り口で述べたものです。

 文章に品格があり、それでいてとても読みやすい。お釈迦様の日常の暮らしが生き生きと感じられます。

 もう一冊はひろさちやさんの『釈迦』(春秋社)です。わたしはかならずしも、ひろさちやさんの愛読者というわけではありませんし、彼の解釈にところどころ疑問もあるのですが、「わかりやすく解説する」という意味では、とても才能のある方だと思います。かなり分厚い本ですが、すらすらと読めてしまします。

 この二冊でお釈迦さまの生涯の流れを把握しておけば、いろいろなことが理解しやすくなると思います。

 

 ところで、今朝のネットのニュースに、新型コロナウイルスの対応で、家族が家にいる時間が長く、顔を突き合わせている時間が増えると、そのストレスも大きく、家庭内暴力や子供の虐待などにつながる可能性が増えるという記事が出ていました。

 自然の災害や、今回のような非常事態に直面すると、家族だけでなく、友人関係、ご近所、会社など、さまざまな人間関係の「真実の姿」が露わになってしまうことがしばしばあります。

 仏教は「妄想をいだくな、幻想をいだくな、現実をしっかり見つめよ」と教えています。仮面や偽りの言葉で隠していたものが露わになったとき、大切なのは落ち着くことと、慈しみの気持ちを持つことです。それが難しいと感じたら、お寺においでください。静かな環境で、穏やかなお顔の、慈悲のかたまりといってよい仏様のお姿を拝んで下さい。心のざわめきが少しずつおだやかになっていくでしょう。

 そして、下の記事にあるように、助けの手を伸ばしてくれる人は必ずいます。阿弥陀様のお慈悲は全ての人を照らしています。  www.msn.com

疫病退散の護符「アマビエ」にちょっと期待!?

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 今朝(4月19日)の中日新聞に、碧南市の瓦職人が「アマビエ」をデザインした鬼瓦を制作したという話題が出ていました。

 「アマビエ」ってどこかで聞いたことあるなぁ・・・と思って部屋の中を探したら、上の写真の護符が出てきました。飛騨高山の桜山八幡宮が出している「疫病退散護符」です。京都大学所蔵の江戸時代の本に御朱印を押したものの印刷物。御朱印も印刷です。これが500円なので、新型コロナウイルスに便乗???と、八幡宮もなかなか目端が利くなぁと、一瞬思ってしまいますが・・・・・

 アマビエは、半身半魚の怪物。弘化三年に肥後の国の海岸に光る物体が出没したので、役人が調査に行くと、その怪物は「私は海中に住むアマビエだ」と名乗り、「疫病が流行ったときは、私の姿を描いた絵を人々に見せてくれ」と言ったと言われています。う~~ん・・・アマエビ・・・じゃなかった、アマビエ、名前も姿のなかなかユニーク。くちばしみたいなものや、長い髪の毛、ダイヤ型の目もおちゃめです。この姿を見ると、疫病除け・・・ちょっとそんなご利益は想像しにくいけれど、それがかえってリアル・・・かも??

 慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)では、ご祈祷とかお守りとかいうものとはあまり関係がありません。浄土真宗のように徹底的に否定するわけではありませんが・・・・でも、今日この頃の状況を考えると、ちょっとこのかわいらしい怪物に頼ってみたくなりました。

 ともかく、アマビエが自分で、「疫病が流行ったら、私の姿を描いた絵の写しを人々に見せよ」と言ったそうですので、みなさんにもご紹介します。

 ちなみに、桜山八幡宮の護符には、境内社大物主神(疫病神をしずめる力があるとされる神さま)と、病気平癒の神である少彦名神御朱印も押されています。なんだか、500円ではお値打ちな気がしてきました。

 護符も大切かもしれませんが、どうぞ睡眠と休息、栄養のある食事を十分にとって、免疫力を高めていきましょうね。

こんな時だからこそ、仏教を学んでみましょう。 part3 釈迦の悟り

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 今日は取材で久しぶりの外出。人の気配の無いお寺の境内で一休みしていたら、桜がまだ散り残っているのに気が付きました。人との接触をできるだけ避けるのを心がける日々ですが、花はいつもとかわらず咲いていました。

 慈雲寺にも木瓜の花が咲き残っています。あちこちで歩かず、境内にある植物に注意をそそいで、手入れをしようと思っています。

 

 さて、外に出歩けないときは、私たちの心の内側へ旅してみましょう。以前、霊友会という仏教系の新宗教が「インナートリップ」というキャッチコピーを使っていました。英語としてはちょっと疑問ですが、「自己の内面を見つめる内省の旅」という意味だとしたら、なかなか味わいがあります。

1)お釈迦様のおいたち

 お釈迦さまのおいたちについて、少しおさらいしてみましょう。

 お釈迦さまは、およそ2500年前、シャキャ族の族長であるスッドーダナの息子、ゴータマ・シッダールタとして生まれました。「王子として生まれた」と言われますが、王国というより「部族長の子供」といった方が良いでしょう。いずれにせよ、物質的に恵まれた環境に育ったのは確かです。

 しかし、母親のマーヤーは、シッダールタを生んで間もなく亡くなります。叔母によって養育されましたが、実母の愛情を知らずに育ったことが、「ものおもいにふけり、しばしば、ふさぎ込むこともあった」というシッダールタの性格にどのような影響を及ぼしたのか興味深いところです。

 シッダールタは16歳の時に結婚し(当時のインドでは珍しいことではありません)、29歳のときに子供が生まれています。

 しかし、彼は「人生の苦」について深く悩み、誕生したばかりの子供と妻から離れ、修行者となります。

 日本でもインドでも「修行」というと、「苦行」と考える人がほとんどでしょう。肉体的にも精神的にも、究極まで自分を追い詰めていくと、その先に「悟り」の世界が広がっていると思えるからでしょう。

 シッダールタも、瞑想や断食をはじめとして、さまざまな苦行にあけくれました。目が落ちくぼみ、全ての肋骨が浮き上がって見えるほど痩せこけた、鋭い表情の釈迦像があります。ガンダーラ美術の傑作のひとつです。

 お釈迦様は6年間、こうした苦行を続けましたが、人生の苦悩を解決するには結局役立たないと気が付きました。極端な苦行から離れたお釈迦さまは、体を清め、村娘のささげた乳粥を食して、穏やかな気持ちで、心静かに瞑想に入ります。

 お釈迦様は、外からの妨害、自分の内側からの葛藤と戦い、ついに悟りを開きました。お釈迦様が35歳の時です。

 それから80歳で亡くなるまでの45年間、お釈迦様は各地を「遊行」しながら、多くの人の苦しみや悩みを抱えた人々に教えを広めていかれたのです。(つづく)

 

 

 

こんなときだからこそ仏教を学んでみましょう Part2 仏教とはどんな宗教なのか?

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 「仏教とは、いったいどんな宗教なのでしょう?」

 ご自分で一度紙に書いてみるのがお勧めです。自分の今な理解、思いを文字にしてみるといろいろなことが見えてくるからです。

 Part 1でお勧めした参考書、『仏教の教科書 仏教って何ですか?』も、最初の記事は「佐々木閑(ささきしずか)先生に聞く 仏教って何ですか?」というものです。

 佐々木先生は、世界の三大宗教(仏教・キリスト教イスラム教)を比較しながら仏教の特徴を述べています。仏教の特徴として最初に挙げられているのは「神ではないひとりの人間、釈迦がつくりあげたのが仏教」ということです。

 

 2500年前、インドの小さな国の王子だったゴータマ・シッダールタ(シッダッタ)は、歴史的に実在が確認されています。彼が修行し、思索し、自分で見いだした真理を語ったのが「仏の教え」すなわち仏教です。

 この真理は、絶対神から与えられたものではなく、釈迦が自分で悟ったというところが重要です。そして、釈迦は極めて優れた人ではありましたが、イエスのような「神の子」でもないし、ムハンマドのような「神の言葉のメッセンジャー」でもなく、人間です。

 のちに大乗仏教が発達してくると、超越的なイメージで釈迦が登場する経典もありますが、初期の経典に描かれている釈迦は、私たちと同じように悩み、同じように老いた肉体を持ち、やがて肉体的な死を迎えた一人の人間です。

 全ての経典は「仏語」、釈迦が語った言葉を弟子が暗誦したという形式をとっています。このため、ほとんどの経典は「如是我聞」(私はお釈迦様がこのように語られるのを聞きました)という言葉で始まっています。

 私たちは、多くの人々がさまざまな困難を乗り越えて伝えてくれた経典によって、「仏語」に出会うことができました。経典を通じて、お釈迦様の言葉に直接触れることができるのです。お経は、想像力を心地よく刺激してくれるストーリーや、豊かな表現に満ちています。美しい現代語訳もありますので、ぜひ経典を読んでみて下さい。

 2500年の時を超えて、お釈迦様の「仏語」に耳を傾けてみましょう。最初のおすすめは岩波文庫の『ブッダの言葉』です。

◎今日の写真は飛騨高山の陣屋跡で見た木です。黄色の不思議な花が咲いていました。なんの木でしょうね?