慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

このところ、ちょっと鬱・・・・・運動不足のせいかなぁ

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日光の旧御用邸には巨大な枝垂桜があります。胸に迫る美しさでした。

 このところ、ちょっと鬱状態でした。こういうときにブログを書こうとすると、「偉そうなこと言うな、わかったようなこと書くな」という妙な自省が働いて、気力がでません。

 憂鬱になる理由が特別見当たらない・・・お寺の事務が滞留しているとか、部屋の片付けができないとか、境内に雑草がどんどん押し寄せてくるとかいう、通常の憂鬱はあるのですが、鬱状態になるほどの理由が見当たらない。

 ひとつ思い当たるのは運動不足です。3月までは、新聞記者のアルバイトをしていたので、週に数回は必ず往復10~15キロ自転車に乗っていたのです。

 前にも何度か書きましたが、ここ数年、中日新聞のローカル版のような新聞の記者をしていました。慈雲寺のある名古屋市緑区の区内だけの新聞。自転車で取材に走り回っていました。この新聞はスポンサーは中日新聞の販売店。新聞の販促材料として機能していました。中日新聞の方が記事の書き方などをアドバイスしてくれるのもありがたかったし、地域の活動やさまざまな人に会えるのも楽しかった。緑区の歴史記事を連載させてもらえたので、本来の旅行ライターとしての仕事を続けている気持ちにもなりました。

 しかし、コロナ禍の影響で販売店が新聞の発行を続けることが困難になり、とうとう休刊になってしまったのです。

 この休刊がどれほど自分に影響があるか予想していなかったのですが、けっこうきつい。まずは体を動かして運動不足を解消しましょう・・・とりあえず草引きと農作業かなぁ?

23日の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、緊急事態宣言が出されたため、中止といたします。

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日光の旧御用邸で見た違い棚です。シンプルで美しいフォルムですね。

 

 愛知県にも緊急事態宣言が出されることになりました。お寺で法話を聴くことが「不要不急」の行動とは思えませんし、常に隙間風ぴゅーぴゅーの慈雲寺ですから、このまま予定通りとしようかと思いましたが、高齢の方や公共交通を利用してお参りに来てくださる方も多いので、やむなく、今月23日の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は中止とさせていただきます。

 宣言が解除されしだい再開いたしますので、またぜひおいで下さいませ。

 なお、本堂はいつも通り開けておきますので、いつでもご自由に中に入って、阿弥陀様や弘法大師様とのご縁を深めてください。

 いつでも写経のできる用意もしてありますので、こちらもご自由に写経や写仏をなさって下さい。写経が初めてという方は、ご遠慮なく庫裏にお声がけ下さいませ。

 

 

 

夏になると「殺生」が増える?!

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大正天皇が愛した日光の旧御用邸です

 ぼんやりしていたら、もう立夏を過ぎていました。夏到来です・・・・日中は夏日になる日もありますが、まだ湿度が低いので大丈夫。北米のソノラ砂漠周辺で仕事をすることがよくあったのですが、砂漠のようにカラカラなら、40度以上でも大丈夫。サボテンの影に入れば、涼しい風が吹いてきます。

 ああ・・・じっとりと空気が湿った夏ももうすぐ・・・そうなると困ったことに殺生をしてしまうことが確実に増えてきます。蚊やコバエなど、さまざまな虫が姿を現すからです。蚊取り線香を焚いたり、殺虫剤をまいたりしてしまうのですが、これは僧侶としては明らかに戒めを破っています。そして、これは虫のせいではなく、私の問題。ボウフラが湧かないように水たまりに注意するとか、コバエが発生しないように食品の保存やゴミの処理に注意を払うなどなど、私の方が気をつければ、虫の発生を抑えるのですから、殺生も少なくてすむ・・・・小さな虫たちは私の怠け心を諌めてくれているのかも?・・・・う~~ん、でもやっぱり蚊に刺されるのは辛い。特に坊主頭を狙われると泣けてきます。

 

 さて、昨日はお月参りから戻ると、境内にうずくまってセッセと草引きをして下さっている方がおられました。嬉しい!・・・雑草生え放題の境内を見かねて助けて下さる方です。嬉しい、有難い・・・でも、ちょっと恥ずかしい。

 こんな風に、お寺や仏様に自分の時間や労働で奉仕することも、「身施」という布施行のひとつ。大切な修行です。布施は、自分の大切なもの(時間、労働、財物など)を喜んで手放すことによって、執着から離れる修行です。ここは「喜んで」がポイントになります。布施のことを喜捨というのも、この「喜んで」を表しています。見栄や義理で布施をしても修行としての意味はなくなってしまいます。

 もちろん、住職、お布施をお預かりする立場としては、動機がどうであれ、あらゆる形のお布施はありがたいですが・・・・

 

 草引きは、夏になるとエンドレスに続く作業です。人間の勝手で「雑草」と決め付けて、その命を奪ってしまうのは何とも申し訳ない気がします。雑草の花もよく見ると皆愛らしいし・・・・一人で草引きをしていると、すぐに気がめいってしまいます(怠け心が湧き上がるが正確かもしれませんが)。ですから、草引きを一緒にやって下さるかたは大歓迎!本当にありがとうございました。

 

 

大儀の為には犠牲は止むを得ない??大切なのは命か、国の威信か?

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日光の旧御用邸でみた明り取りの窓です

 仏教では「怒り」をしばしば毒蛇の毒に喩えます。心に怒りを抱いて行う行動は、まず本人を毒し、傷つけ、苦しめるのです。とりわけ僧侶は「怒らない、妬まない」が修行の大切な基本です。

 しかし、先月末にこのニュースを見て以来、私の心の中は怒りでいっぱいになってしまいました。

現役看護師が悲痛な叫び「命が救えなくなる!」組織委の〝五輪優先〟に医療現場は猛反発 (2021年4月27日) - エキサイトニュース (excite.co.jp)

 

 コロナ禍の問題が拡大する前から、医療現場、とりわけ看護士の方たちの逼迫した状況は繰り返し語られてきました。昨年以来、医療現場の「悲痛な叫び」はさらに強まっています。医療従事者の労働環境は苛酷さを増しているのに、病院の経営は落ち込み、ボーナスを削られた人もいるとか。

 家族を守るために、自宅に戻らないで仕事を続けている看護士もいると聞いています。そんな状況が一向に改善されそうもないのに、オリンピックを優先して看護師を手配するように要請するとは・・・・なんだか、第二次大戦の末期みたいな、「大儀のためには多少の犠牲は必要。国の威信のためなら、一般人の命が軽視されることになっても仕方がない」と政府やオリンピック組織委員会は考えているように思えてなりません。

 組織委の橋本聖子会長(56)は「世界が共通する課題に挑戦し、乗り越えていくヒントを世界に発信し、レガシーとして後世に残していくことが使命」と言っているそうですが、開催予定日のたった三ヶ月前にして、この惨状。いったいどこにコロナ禍を「乗り越えていくヒント」があるというのでしょう?

 ああ・・・書き始めたら、どんどん怒りが湧いてくるので、この辺でやめて起きます。医療現場の方々の負担が少しでも軽くなることを祈りつつ、まずは私自身が気をつけて健康でいることが第一だと思っています。

5月の慈雲寺の行事のおしらせ

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日光の旧御用邸で見た障壁画です。

 5月になりました。湿度たっぷり蒸し暑い夏も目の前のようですが、今日はセーターが欲しいくらいに肌寒い。

 今日は弘法大師の御正当日(旧暦3月21日)なので、慈雲寺では、お大師さまの御像の御身拭いを体験していただいています。午前中には短い法要を行ったのですが、10人以上の方がお集まりくださり、お大師さまもすっかり綺麗に磨かれました。

 御身拭いと四国八十八箇所のお砂踏みは今夜8時ごろまでお参りいただけます。どうぞごゆっくりお大師様とのご縁を深めてくださいませ。

 

さて、5月の慈雲寺での行事のお知らせです。

◎5月23日(日)10時より 尼僧と学ぶやさしい仏教講座

 テーマは「埋葬されることの意味とお墓」

  最近は「散骨」のように遺骨を「埋葬しない」方も増えてきています。遺骨に対する考え方の変化、埋葬という習慣の歴史とその意義、そしてこれからの「お墓」について改めてご一緒に考えてみましょう。

 

◎5月27日(木)夜7時半より 満月写経の会

 慈雲寺では、毎月の満月の夜にお月見を兼ねた写経の会を行っています。必要な道具は全て揃っていますので、どなたでもお気軽にご参加ください。

 7時半から、ご一緒に『般若心経』を読誦し、その内容についても毎月少しずつ学んでいきます。7時半より前においでになって、ゆっくり写経を始めてもよろしいですし、7時半に間に合わなくても大丈夫。途中の出入りも自由です。

5月2日(旧暦3月21日)は弘法大師の御正当日です。御身拭いでご縁を深めてください。

        

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 旧暦の3月21日は弘法大師の御正当日です。「正当」とは亡くなられた日、祥月命日のことですが、弘法大師高野山奥の院で今も深い禅定に入っておられると信じられています。まだ生きておられて、私たちの思いに寄り添ってくださるのですね。

 慈雲寺では、毎年の御正当日に弘法大師の御像を下に下ろし、皆様に御身拭いを体験していただいています。体に不調がある方は、御像のその部分を布で拭い、御大師さまに平癒をお願いしてください。家族や知人で心配な方がいるのなら、その布を差し上げてください。タオルを用意しますが、日常使っているハンカチなどをご用意くださっても良いでしょう。

 10時から短い法要と弘法大師のお話をしますが、御身拭いは一日中、いつでも体験していただけます。ただし、11時から12時までは法事がありますので、ご遠慮下さいませ。

 また、四国八十八箇所からいただいてきたお砂を踏んでミニ巡礼ができる、お砂踏みも体験していただけます。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽に御参拝ください。

造花の仏花を供えるのは何のため?

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日光の旧御用邸でみた灯りです

  仏様に花を供えるのは、僧侶としての役割の中で嬉しいことのひとつです。池坊の発祥である六角堂の僧侶たちのように毎朝工夫をこらした仏花をお供えできたら、どんなに幸せなことでしょう。でも、それはなかなか難しい・・・裏の空き地で花を育てて、お供えするのが理想ですが。

 今月は、庭に咲いた花をお供えしてくださる方がいたり、法事がいくつかあったり(伝統的な意味での檀家のない慈雲寺には珍しいことです)して、お花が豊富!毎朝、お水を替えたり、花をアレンジしなおしたり楽しい日々が続いています。

 

 花を仏に供えるのは、仏様やご先祖さまに美しい花を見ていただくと同時に、花の命の儚さを知って、仏の教えを心に刻むためのものです。けして、仏壇の見栄えを良くするためのものではありません。

 ですから造花をお供えするのはお勧めしません。最近は、本物の花を加工して「けして枯れない花」にしたものまでありますが、これでは仏花の意味は全く失われてしまします。

 この加工した花は、見た目は本物そっくりで綺麗です。これを仏壇に飾っておけば、「いつもきれいな花をお供えしている」という状態を取り繕うことはできるでしょう。しかし、これでは本来の意味は全く失われて、ただの「見栄」になってしまいます。

 生花をお供えし、毎日水を替えたり、花の様子を見たりしてお世話することに意味があるのです。美しい花が枯れていくのを哀れむ気持ちが、仏様の教えにつながっていきます。

 確かに、これから夏場になれば、花をしばしば変えるのは経済的にも負担になります。慈雲寺でも、今まで仏像の両側に供えていた花瓶を片側だけにしてコストを削減しました。今月は花がたくさんあるので、両側に花瓶が置けるのが嬉しい!

 それでも、造花を供えるなら、雑草の花を供える方が良いのではないでしょうか?造花を供えるのは何のためなのか、一度ゆっくり考えてみましょう。