慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

兵士の子供たちの体験も記録に Part1

 


上の写真はインターネットからお借りした、第二次大戦直後のこどもたちの様子です。

 

 

  いつもなら、ご近所のお寺の棚経のお手伝いをさせていただくので、15日はすっかりへたばって何も考えられないのですが、今年からお手伝いが無くなったので、少し余裕のあるお盆でした。

 気持ちに少し余裕があったので、終戦記念日は簡単なものながら戦没者のご供養をさせていただき色々と戦争について考えながら過ごしました。

 以前にも何回か書きましたが、第二次世界大戦を実体験した世代が年々少なくなっている今、「体験を語り継ぐ」ことの大切さが増々大きくなっています。

 そして、実体験者だけでなく、私は「兵士の子供」の体験もぜひ残して欲しいと思っています。

 

 私はまさに「兵士の子供」です。私の父はインドネシア終戦を迎え、収容所で抑留生活を数年送ったのち、インドネシア独立戦争に加わったのちに帰国しました。帰国後しばらくして母と出会い、結婚。そして私が生まれました。

 父は寡黙な人で、声を上げて笑ったのを見たことがありませんでした。しかし、父の実家で見た父の戦前の写真はどれも大きく口を開けて笑っていました。祖母は「正男は笑い上戸だったから」と言っていて、それを聞いた私はかなりショックを受けました。

 戦争が父の性格を変えてしまったのが明らかだったからです。

 父は戦争の体験についてほとんど語りませんでしたが、「戦地では誠実な人間から死んでいく。生き残ったやつはなんらかのずるをしている」と言ったことがあります。

 父が心に抱えている重くて暗いものは、妻である私の母はもちろん、私や弟にも深い影響を及ぼしているはずです。

 ベトナム戦争以後、戦争によるPTSDの研究が進んできましたが、第二次大戦の兵士たちのPTSD,そしてそれを抱えた元兵士の子供たちへの影響の研究はなされてきたのでしょうか?(つづく)

 

 

お盆のお参りの準備を僧侶の側から見ると

 

 慈雲寺の周辺では、8月の13~15日が「お盆」として認識されているようですが、帰省する側の都合などもあるのか8月に入ると「お盆のお参りをお願いします」というお声がけを戴くようになりました。

 慈雲寺には伝統的な意味での「檀家」はないので、このような形でご縁が深まるのはとても嬉しく、ありがたいことです。

 先日、本堂でお盆のお参りをさせていただいたお宅の方から、「来年は自宅でお願いしたいと思いますが、何か準備のアドバイスをいただけたら・・・」というご質問を受けましたので、幾つか書いてみようと思います。

 

お盆の準備

1)お墓や仏壇周辺の掃除

 お盆の準備としては、まずお掃除です。お墓の周辺は雑草を抜き、墓石を磨きましょう。

 仏壇は、まず仏壇周辺に置いて有る物の整理です。お参りに伺うと、きれいに積み重ねてあるのですが、仏壇の周辺に古いお線香やろうそくなどが山積むになっているお宅があります。

 最小限の物以外は仏壇の中や他の場所に保管し、仏壇の周辺はできるだけすっきりさせて起きましょう。もし、保管しきれないお線香や蝋燭などがありましたら、日頃おつきあいをしているお寺に「引き取ってもらえませんか?」と伺ってみてはいかがでしょう?もちろん、寺院によっては決まったブランドのお線香や蝋燭を使うところも多いので、「いりません」と言われてしまうかもしれませんが・・・・・・少なくとも、慈雲寺では大歓迎。古いお線香でも、暑さで変形してしまった蝋燭でも大歓迎です!

 

2)お位牌と過去帳

 それぞれの地域で慣習は違うでしょうが、慈雲寺の周辺では、仏壇の中のお位牌を全部前に出し、お参りに来た僧侶に戒名を読み上げて供養してもらいやすく並べるお家が多いようです。

 僧侶の側からすると、お位牌は文字が薄れているものも多く、できれば各家の「過去帳」を用意していただけるとありがたいです。

 過去帳は先祖の戒名、俗名や命日などを記したもので、菩提寺の住職に書いていただくのが普通ですが、普通の紙やノートに書き出しておいてもかまいません。ノートに書き出す場合は、それぞれのご先祖の個人的な情報なども書き込んでおくと、やがて「宝物」になっていくはずです。

 そのさい、忘れてならないのは戒名の読み方です。仏教的な特別な読み方をする場合もありますので、思い出せる限りふりがなをつけておくと良いでしょう。もし読めないものがあったら、ご縁のあるお寺の方にご相談下さい。

 

3)精霊棚(盆棚)の飾り方

 精霊棚に何を御供えするかは、その地方や家によって伝統が違います。

精霊棚の御供えものや飾り方

 ネットで検索すると上のようなイラストが出てきますが、慈雲寺周辺の必須アイテムであるスイカが出ていません。ご近所のお寺やお年寄りなどに聞いてみるのがおすすめですが、基本的には季節の野菜とお菓子、故人の好きだった物を御供えすれば良いでしょう。

 

4)ご先祖と共に過ごす「お盆」

 民俗学者の方々の本を読むと、お盆は仏教だけの慣習ではなく、古代からある日本人の祖先感や死後の世界観などを反映したものだとあります。

 浄土教の教えでは、亡くなった方は極楽に迎え取られており、菩薩の修行を始めています。菩薩は神通力がありますから、どこへでも自由に行き来できます。

 お盆に限らず、いつでもどこでも、伴侶や子孫、知人の思いのあるときは、そこに戻ってくることができるのです。

 ではなぜお盆が特別なのかと言えば、たくさんの縁者が集い、祖先をまるで生きて居るときのように迎えることに意味があるのです。

 精霊棚も、飾り付けをするだけではなく、それを中心に皆が集まって食事や会話を楽しむことに意味があるのです。

 お盆の間は、食事をするときにも祖先の席を作り、ぜひ一緒に食事を楽しんでください。

 

 何千、何万もの祖先の命・思いを受け継いで今の自分があることを改めて味わい、感謝して過ごしましょう。

長崎の原爆被災者を悼む

 今日は長崎に原爆が落とされた日です。上の写真は、インターネットからお借りしたものですが、長崎の原爆で破壊された寺院と焼け残った仏像の写真です。

 この仏像が身代わりとなって、何人もの方が助かっていたらと願わずにはいられません。

 

 前にもこのブログに書いたかもしれませんが、私にとっては長崎の原爆忌は、自分の愚かさを思い出させてくれる日でもあります。

 私が高校三年生だったとき、ジャパンタイムスという英文紙の懸賞作文に入選して、インドへ派遣されたことがあります。せっかくインドに長期間滞在して、さまざまな経験をさせて貰ったのに、自分の愚かさと無知のために、肝心なことを次々と見落としていました。初めての「特派員」経験であり、初の新聞記事を書くチャンスだったのに、あの時の自分を蹴飛ばしたいくらいです。

 その取材力中の8月9日に、ある大学に行き、何やら哲学者みたいなお爺さんと会ってお話するという機会がありました。お爺さんは「原爆の日に日本人の若者と話せるのは嬉しい」と言ったのですが、私は「原爆記念日は6日ですよ」と馬鹿のお返事。お爺さんは苦笑いして、「今日は長崎の日だよ」と教えてくれました。私はあまりに恥ずかしくて、その後のことは何も覚えていない。

 どの大学の、どの人だったのかも思い出せない・・・多分、とても有名な哲学者だったのでは・・・・?その取材で、私はマザー・テレサにも会っているはずなのですが、私は何の印象もなし。マザーテレサを知らなかった?!阿保過ぎるだろ自分??!

 

 というわけで、しっかりとした知識も無しに飛び出しても、見えるものも見えず、聞いても聞こえず・・・・「ロバは旅に出てもロバ」という格言もあるからなぁ・・・実際のロバはけっこう賢いらしいですが・・・

 

 自分の愚かさを思い出し、情けなく、恥ずかしいと思いながら、長崎の被災者の方々のご供養をさせていただきました。

 

ホテイアオイ差し上げます

 上の写真はネットからお借りしたものですが、慈雲寺のメダカの鉢に浮かべたホテイアオイも次々と開花しています。

 この花は見た目も清楚でとても美しいのですが、一日で終わってしまうので、そのはかなさがなんとも哀れです。

 

 しかし!繁殖のパワフルさは呆れるほど。どんどん増えていきます。冬はすっかり枯れてしまうのですが、春になるといつのまにか小さな株が浮かんでいて、あれよという間に増殖します。

 というわけで、今年もどっさり増えましたので、里親大募集中です。

 山門の前に置いたバケツの中から、お好きなだけお持ち帰り下さい。ビニール袋も用意してあります。

 

 と、ここまで書いたところで、メダカに餌をやりに外へ出たら、メダカ鉢が大惨事になってました!何者かが、浮かんでいたホテイアオイをボロボロに破壊していました。どうやらメダカを狙って暴れたようです。

 犯人はだれか?昨年はなんとアライグマでした。確か捕獲されたと聞いたのですが、また出現したのでしょうか?それとも猫?う~~ん

 メダカはまだ小さいので、逃げおおせたようですが・・・・・

 

 メダカもたくさん生まれましたので、もう少し成長したら里親募集をいたします。もし、小さな小さな赤ちゃんのレベルから育ててみたい方は、慈雲寺までお声がけください。

広島原爆の犠牲者を悼む


 今日は七十七回目の原爆の日です。朝の勤行の時にご供養させていただいたのですが、今年もまた祈ることしかできなかった自分の忸怩たる思いを持て余してしまった一日でした。

 核兵器の使用がどれほど愚かなものであるか、私たち日本人は歴史的「実体験」として知っている数少ない国民です。

 核の「抑止力」を声高に語る人たちに、私たちは「過ちは二度と繰り返さない」と誓ったと何度でも言わなければならないでしょう。

 核兵器を持っている国と核武装していない国との間の緊張を緩和するために、日本人だからこそできることがあるのではないでしょうか?

 

 私はニューメキシコの自然が大好きで、チャンスを探しては取材に行きました。マンハッタン計画の現場だったところへも行きました。最初の原爆を搭載した爆撃機が飛び立った基地の取材にも行きました。どちらも明るい陽射しの中で、不自然なほど美しい場所でした。あの場にいた人々のほとんどが、もはやこの世にいないでしょうが・・・

小学生の得度は適切なのか?

 

 この時期は学生や生徒の夏休みに合わせてなのか、多くの宗派の本山で「得度式」が行われています。今日のニュースでは、浄土真宗大谷派(お東さん)の得度式が行われたそうです。

 ↓の記事を見ると、大谷派では親鸞聖人が9歳で得度したという言い伝えにより、9歳から得度することができるようです。

 新米僧は小学生、東本願寺で得度式 (msn.com)

 

 得度式とは、僧侶として生きることを決意した人(発心の人)が、師僧から髪を剃ってもらい、衣など修行の必需品を授与されて、僧侶としての第一歩を歩み始めるための儀式です。

 ここで問題となるのは「発心」です。つまり、仏弟子として生きるという意思が重要になってくるのです。

 9歳の子供でも、もちろん仏弟子として生きる心持ができている子もいるでしょう。お寺に生まれて、仏の教えが毛穴からしみ込んでいるという子供もいるはずです。しかし、多くの子供は親に言われてなど、特別な「発心」無しに集まってきたのではないでしょうか?

 子供の時に得度すること、9歳で仏弟子として歩み始めるのは悪いことではありますまい。子供の柔軟で、好奇心に満ちた心に仏の智慧がしみ込んでいくとしたら、なんと幸せなことでしょう。

 しかし、この「発心」の問題はやはり考える必要があると思います。

 

 この問題は仏教だけにとどまりません。例えばキリスト教の洗礼です。キリスト教徒になるためには必ず受けなければならない儀式です。

 カトリックは赤ん坊の時に洗礼を受けたという人が多く、カトリック教徒の家の子供はそのままカトリック教会に属していくことになります。

 しかし、プロテスタントの多くの教派では、カトリックのような「幼児洗礼」を認めていません。キリスト教徒となるという「意思」がなければ、洗礼に意味がないと考えるからです。自分の信仰を自らの意思で選び取る。神との契約を自らの意思で結んでいくということが重要なのです。

 なお、カトリックでも幼児洗礼を受けた子供が一定の年齢になると、改めて自ら信仰告白をし、教会の正式メンバーとなる堅信式というものも行われています。

 

 この自らの信仰を「選び取る」ということの大切さについて考えさせられた一日でした。

 

8月の慈雲寺の行事予定

岐阜の旧市街地位の街並み

 「名古屋で一番暇な寺」という冗談が冗談ではないところが情けない慈雲寺ですが、それでも8月になるといろいろ走り回るようなことが起こってきます。今日も近くのお寺の施餓鬼のお手伝いに出かけて汗だくで戻って来たところです。

 

 さて、慈雲寺の8月の行事予定です。

 まずはお盆のお参りのお知らせです。慈雲寺は伝統的な意味での「檀家」の無いお寺ですので、どなたのお家のご供養でもさせていただきます。日本のほと「どの宗派で大切にされている『般若心経』を中心にしたお参りです。

 慈雲寺にいらしていただいても良いですし、墓経やお仏壇や精霊棚の前でのお勤めのご希望にも対応させていただきます。お電話(☎052-621-404「持参ください。

 

◎8月12日 夜7時半より  満月写経の会

       慈雲寺では、毎月満月の夜にお月見を兼ねた写経・写仏の会を行っています。道具も全て揃っていますので、初心者の方もお気軽にご参加いただけます。

      7時半から皆で『般若心経』を読誦し、心経の内容についても毎月すこしずつ学んでいきます。

◎8月21日 10時より 尼僧と学ぶやさしい仏教講座

       テーマ :そもそも「カルト」ってなんでしょう?   

 安部元首相の事件以来、ニュースなどで「カルト」という言葉をよく聞くようになりました。比較宗教学の分野では「カルト」の定義というのは、まだ定説と言えるものがあるわけではありません。カルトのレッテルを張ることで、見落としてしまう問題も少なくないとおもわれます。

 そもそも「カルト」とはなんなのか?宗教的な「熱狂」とはなにか?など、基本的な知識に立ち返ってご一緒に考えてみましょう。

 「講座」というタイトルはついていますが、どなたにもお気軽に聞いていただけるお話を心がけています。

 

 慈雲寺の行事は特別の場合を除いて無料です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。