慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

極楽で修行中のご先祖に「怨」はありません。

池の水面に映った犬山城です。

 

 旧統一教会が日本で莫大な献金を集め続けていることが話題になっています。下の記事はGOOニュースの記事からの引用です。「献金のシステム」がまとめられています。

 

全国霊感商法対策弁護士連絡会 山口広弁護士
「あなたはお父さんお母さんの愛の結晶として生まれました。お父さんお母さんもそのお父さんお母さんから生まれました。私たちのご先祖は扇のように広がり、沢山のご先祖の中から今あなたがいる。では、そのご先祖たちの行いと私たちのこれからの運勢はどうなるのか・・・。人のために生きていい人生を歩んだご先祖が沢山いる方は幸せに恵まれる。財産や様々な幸運に恵まれる。しかしながら自分のために生きてしまった悪霊がご先祖に沢山いる方々は色々な不幸に見舞われることが多いといわれています。私たちは、十月十日お母さんのお腹にいる時は、地上生活の準備期間です。そして地上生活の80年間は肉体と心があります。心と体が一緒になって育っていくわけです。そして死ぬとどうなるか、肉体は土に還りますが、心は、これを霊人体と言いますが、心の体が永遠に霊界で生活していくんです。肉体は80年で滅びるが、霊界は永遠なんです。霊界は3層に分かれています。一つは天国。これは義人聖人が入る世界。次に中間霊界、為に生きた人が入る世界です。では私たちのご先祖が、例えば財産の怨念、色情の怨念、あるいは殺傷の怨念、これを抱えて亡くなった方々はどうなるかというと、永遠に地獄の蓋の下で苦しみ続けるんです。その永遠に苦しんでいるご先祖たちは「助けてくれ」と地上の私たちに合図を送る・・・」

と説教は延々と続き、じゃぁどうしたらいいのかというと、「お祈りをしてきます」。様々な先生がお祈りから戻って、何を言うかと思うと「4500万・3500万・2100万、この3つの数字から何を選びますか?」つまりあなたの真心を持っている財産の中から天に捧げてください。それでご先祖さまが救えるんです・・・となるという。

ここで救う先祖とは7代前まで遡る。7代前までのご先祖の解怨をする。この「先祖解怨」が旧統一教会献金システムになっている。「怨みを解いてあげる」というのも旧統一教会の手口のキーワードなのだが、驚くのは、世界の旧統一教会のすべての献金の7割から8割近くが日本人の信者からのものだという。これは単に日本人に熱心な信者が多いとか、経済力があるということではない。」

 

 自分の人生に起きるさまざまな「不幸や不都合」を祖先からの怨みのサイン・・・と説明するというのは、興味深いことです。この「システム」については、50年前の原理研が話題になっていたころにすでに、その基本的なデザインが出来上がっていたようです。

 私たち浄土教の信徒にとっては、祖先の「怨」など問題になりようがありません。極楽には怨みも怒りもありません。煩悩が生み出すそのような苦しみは、極楽には存在しないからです。

 祖先を供養するのは、祖先の作った問題を解決するためではありません。自分になにか不都合があるからといって、それを祖先からの「怨みのシグナル」とか責任転嫁せず、問題の原因を追究し、まず自分を顧みるのが仏教徒の生き方です。

 生きているうちに仏の教えに出会い、極楽へ赴いたのちは阿弥陀仏のお説教を直接聞いて、慈悲の心を養い、菩薩となって利他の修行を続けるのが理想です。

 

 まあ、正直言って、屋根の雨漏りをなんとかしたい今の慈雲寺住職としては、脅して資金調達ができるものなら、なりふりかまわず・・・・あ、さすがにそれはないなぁ。宗教者としては脅しで献金を集めるのは最悪だ。しかし・・・・現実はなぁ。

 例えば、ひと昔(昔か?)前に話題になった水子供養。何らかの理由で子供を失わなければならなかった母親の罪の意識に付け入るようなところが否定できません。もちろん、供養することによって、悩みが薄れ、素直に現実に向き合えるようになった人も多いでしょう。ペット供養にも似たところがあるかも?

 

 どの宗教も「献金」や「布施」によって支えらえています。屋根の修理などの目的がある場合にはなおさらです。それと今回の統一教会の集金システムとの違いがどこにあり、どう対応していくのか、もう少し考えてみたいと思います。

 

安部氏の「国葬」問題について

亡くなった人や神々への供養としてガンジス河に流される花筏

 

 「安部さんの国葬について庵主さんはどう思ってるの?」というご質問をいただきましたので、少しお話をします。

 

 多くの疑惑を残したままの安部氏を「国葬」することには原則的には反対です。

 衝撃的な亡くなられ方をなさった方ですから、それに対する感情的なシンパシーを感じないわけではありません。とても痛ましい事件ですし、犯人の動機の解明、当日の警備の状況など、まだまだ明らかにしなければならないと思います。

 

 しかし、安倍政権下で「衝撃的な死」を迎えなければならなかった人はたくさんいます。福祉のセーフティーネットからこぼれて餓死した人、虐待されて亡くなった子供、非正規の労働環境の悪化で自殺に追い込まれた人、政府の不正の片棒を担がされて追い詰められた人などなど、痛ましい死を迎えた人はなんと多いことでしょう。政府の責任はもっと追及されて良いと思います。

 その中心に長期的にいた安部氏の責任は看過できません。統一教会との関係の疑惑も深まるばかり・・・

 国葬の法的根拠もないのに、このすばやい閣議決定は、国民感情を操作しようという意図が濃厚なのではと疑ってしまいます。

 国葬について明確な法的根拠のあるアメリカでは、大統領経験者の葬儀は国葬で行われるそうですが、ウォーターゲート事件の渦中に亡くなったニクソン氏は国葬を辞退しています。

 安部氏の襲撃事件の疑惑が何一つ解明されていないうちに、「国葬」で美化してしまうのはなんだかなぁ・・・・公明党がこの件で、きちんとした見解を出さないのも不可解です。

 

 その一方で、私は今回増上寺で行われた安部家の葬儀については好意的に見ています。コロナ禍もあって、「家族葬」が加速し、「葬式なんていらない。死んだら燃やすだけ」の流れさえ危惧される今、浄土宗鎮西派の中心的なお寺できちんとした葬儀がおこなわれ、人数制限をしなければならないほどの弔問客があったということは、もっと詳しく報道されて良いでしょう。

 直近の家族だけではなく、広い親族、友人、仕事などの縁の深い人、そしてコミュニティの人々に送られる葬儀は、亡くなった本人はもちろんのことですが、縁者の心のケアや人生を考える大切な機会となるでしょう。

 安部氏の通夜のとき、僧侶がどんなお説教をしたのか、ぜひ知りたいところです。

 

 

突如(でもないか・・・)始まった老々介護!

ベナレスの街で見た素焼きのコップ(?)。本当は何に使う者でしょう?ご存じの方がいらしたら、ぜひ教えて下さいませ。

 

 長らく更新しなかったので、ご心配をおかけしたようです。申し訳ありません。実はご近所の方が突然亡くなられたのに続き、「法類」のお寺でも先代のご住職が御遷化なさり、すっかり気持ちが哀切でいっぱいになっていました。

 そんなとき、東京の実家で一人暮らしをしている母のケアマネージャーから連絡があり、母の状況があまりよろしくないので、改善の兆しが見えるまで、しばらく同居して様子を見て欲しいとのことでした。

 母は九十歳を超えているのですが、今まで身体的な健康は全く問題なし。しかし、どうやら鬱の症状が見えるようで、食事をしなくなっているらしい。認知症も疑われるとのこと・・・・う~ん・・・いよいよ来たか。

 母は和弓の高段者で、今でも区の施設で週に二回指導をしています。このお弟子さんたちが、何かと母を気遣って下さるので、介護の方々と合わせて、なんとか一人暮らしができていました。

 しかし、鬱傾向や認知能力の低下が見られるなら、もう一人暮らしはむりでしょう。とりあえず、しばらく私と一緒に暮らしてみて、母の状況を観察してみようと思います。

生老病死」と真摯に向き合うのは仏教の基盤です。しかし、「老い」を見るのは「死」の恐怖と直結するものですから、そう簡単に向き合うというわけにもいかないでしょう。

 しばらくは、老々介護の日々を過ごすことになります。

 最初は母おやの「老いぼれ具合」に正直驚き、心がかなり動揺しました。毎日電話で話しはしていたし、月に一度は上京して母の姿は見ていたのに・・・・日常の細かいことを観察すると、いろいろ驚くことでいっぱいです。

 

宗教団体と「寄付」の問題 Part 1

 

白鷺のような優雅な美しさと讃えられる姫路城

 安部元首相の事件以来、さまざまな角度から報道がなされています。とりわけ犯人の動機について、多くの報道がなされていることに注目しています。

 前回も書きましたように、仏教はいかなる理由があろうとも、自己の怒りを「暴力」という形で放出することを認めていません。厳しく戒めています。ですから、犯人の動機がいかなるものであれ、そして安部氏がどのような人であったにせよ、暴力を肯定できるものではありません。安部氏の「自業自得」という発言に組するべきではないでしょう。

 

 しかし、「(犯人の)母親が統一教会系の宗教団体に多額を寄付をし、それによって家庭が崩壊したことを恨んでいた」という犯人の発言は非常に興味深いものです。

 安部氏、そして自民党などの多くの政治家と統一教会との深い関係は、安部氏の祖父である岸信介氏の時代から始まっており、私は「誰でも知っていること」だと思っていました。ですから、安部氏は教団とは無関係であるとか、犯人の「思い込み」という報道に驚きました。

 だいぶ以前にこのブログにも書きましたが、自民党議員の選挙(その時は都議会議員戦でした)の応援に、異様な熱意で取り組んでいるグループがあり、それが統一教会の信者だったということを身近で目撃したころがあります。あの人たちは、あれから50年の歳月が流れ、どうしているのでしょうか?今の気持ちを聞いてみたい気もします。

 

 また、今回の事件では、宗教教団による寄付金の問題が大きく取り上げられています。犯人の母親は家を売り、破産宣告を受けても寄付をやめることはなかったようです。

 カルトと呼ばれる宗教団体であろうと、伝統的な宗派であろうと、教団の維持には信徒の寄付、御供えをかかすことはできません。寄付(お布施など)の意義を伝え、教会やお寺の維持、布教の経費などをどう集めるかは、僧侶や牧師などの宗教者にとって、重要な問題ですし、けして簡単なことではありません。

 

 インターネットで今回の事件について資料を探していたら、↓のようなコメントを目にしました。

 

◎要求せんでもいっぱい貢いだ奴ほど偉いシステムを確立しちゃえばいいだけだし
思考停止レベルまでのめり込ませれば自主的に(ここ重要)全財産差し出させるくらい
造作もないこと
権力者は宗教を支配の道具に使い末端信者は宗教を現実逃避の道具に使う
これは宗教の歴史そのものだわな+
◎破産するまでお布施させる魅力ってどんなだ?
-----------------------------
↑ そりゃ洗脳だよ。
魅力じゃなくて思い込みと恐怖で支配すんの。

 

 「洗脳」は今回の事件のキーワードかもしれません。ユーチューブには1990年代の統一教会による「洗脳」の様子を移した動画がアップされていました。

(573) How a cult collect money - YouTube

 

 いや、迫力あるなぁ。この宣教師も通訳の人も・・・この人たちが今どうしているのかすごく興味がある。

 

 伝統宗派の人たちは今回の事件について「カルトの関係者の暴走」と言うでしょうが、寄付やお布施を集めるという点については目を背けることができない共通問題があるわけで、他人事ではすまないでしょう。(つづく)

「ある特定の宗教団体」ってあまりに不自然な表現・・・・だなぁ

 

斑鳩の里の竹林

 数日本山にこもって研修を受けていました。山を下りてみたら、なんだか世間が騒がしい。タクシーの運転手さんが妙に冷静に解説してくれました。慌ててあちこちのニュースを見てみたのですが、さすがに一日中ラジオを聞いているらしい人だけあって、的確な要約だったことがわかりました。

 今これを書いているのは9日の午前中なのですが、報道の中でなんとも歯切れが悪いのは犯人の動機。「安部元首相の政治的な信条に反対していたわけではない」とか、「ある特定の宗教団体の幹部をねらった」と発言したと報道されていますが、妙な配慮が感じられて気持ちが悪い。

 時間がたつと、この「ある特定の宗教団体」という表現が「ある特定の団体」ということに変化し、これも不自然。ついには、犯人は精神的に「正常ではない人」という印象操作のような報道のされ方が始まりました。

同時に安部氏が大政治家であり、「日本をとりもろす」英雄だったかのような報道も進んでいます。事件現場に花を供え、土下座で祈る「若者」の映像が延々と流されたりしているのも、意図的な気がして気持ちが悪い。

 はっきり統一教会との関係を追求するメディアはいつ出てくるのでしょうか?安部氏を頂点とする自民党の一派が統一教会とずぶずぶであることは周知の事実だし、当然推察できると思うのですが・・・・ 大和西大寺には統一教会関係の大きな施設もあります。これは関係ないのかなぁ?

 

 仏教とはあらゆる暴力を否定します。いかなる理由があろうとも、自分のかかえる怒りを暴力で外に発散させることは、より激しい憎悪を生み出すだけだと教えています。

 ですから、私は安部氏に率いられた政権の為してきた政策の多くは一般の人々を苦しめてきたと思っていますが、それを暴力的に否定しても、さらなる憎悪を生むだけだと思います。

 選挙戦のさなか、すでに露骨に「弔い合戦」と張り切っている候補者もいるようですし、明日の投票日の状況も気になります

 

◎追加記事

以下の記事をネットでは見かけました。記事内容の全てに納得したわけではありませんが、興味深いものだったので貼っておきます。

「宗教団体の名前を伏せる」「各局揃って喪服」……「安倍元首相銃撃事件」テレビ報道への4つの“違和感” (msn.com)

無慈悲な暑さの夏だからこそ、「慈悲」について学んでみましょう。

カナダ西海岸のジョージア海峡の夏景色です。湿気がすくなく爽やかな日が続きます。

 慈雲寺では、身近な話題を取り上げて、仏教のものの見方や考え方をお話しする「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を行っていますが、一時間足らずのお話しなので、言い尽くせないことがたくさんあります。

 そこで、少しまとまって一つの話題に沿ってお話しする講座も行っています。名鉄の鳴海駅前にある中日文化センターで、毎月一回90分で、三回で一つのテーマでお話しします。「尼僧と学ぶやさしい仏教入門」というタイトルです。テーマは毎期ごとに違いますが、仏教の基本的な考え方、ものの見方などをゆっくり学んでいきます。

 7月10日から始まる夏期講座では「慈悲」をテーマに取り上げます。慈悲は仏教の基本。仏教の実践の基盤です。一方、仏教は「愛」を説きながら、「愛」が煩悩になっていくことにも注目しています。

 キリスト教などの説く「愛」との違いについても見ていきたいと思います。

どなたでも気軽に聞いていただけるお話しを心がけますので、暑い夏だからこそ、穏やかな心、慈悲について学ぶましょう。

 詳しくは、鳴海中日文化センター(電話0120-538-763)までお問合せ下さい。

 

7月の慈雲寺と鳴海中日文化センターのイベント

深い緑に覆われた国宝犬山城

 7月になりました。あれよと言う間に梅雨が明けてしまい、本格的な夏がやってきてしまいました。砂漠地帯で仕事をした経験もあるので、気温が高いことはそれほど辛くはないのですが、問題は湿度・・・毎夏、この日本の湿気に対して文句を言っていますねぇ・・・・どうしようもないことに愚痴を言うのはまさに愚かなことです。]

 ★本堂の入り口に冷たい麦茶(+十六茶)と塩分補給のできる飴を用意しました。どうぞ阿弥陀様の前で少し寛いで下さいませ。

 

 さて、7月も慈雲寺または中日文化センターでの催しは継続いたします。

 

A)7月10日(日)13時半 鳴海中日文化センターにて 「尼僧と学ぶやさしい仏教入門講座」

 身近な話題を取り上げて、仏教のものの考え方、見方などをご一緒に学ぶ講座です。今回は「慈悲」とは何か?をテーマにしてお話いたします、詳しくは、鳴海中日文化センター(電話0120-538-763)までお問合せ下さい。

 

B)7月14日(木) 夜7時半より 「満月写経の会」

 毎月の満月の夜にお月見をかねた写経の会を行っています。どなたでも気軽にご参加いただけます。初めての方も大歓迎。必要な道具は全て用意してあります。

 7月は月が一番地球に近づくときです。巨大なスーパームーンが見られるかも?

 

C)7月盆のお参りにいついて

   お盆は旧暦(太陰暦)の7月15日が本来の日にちです。そのため、東京周辺などでは、7月にお盆のお参りをする習慣になっています。慈雲寺のある桶狭間周辺では、8月15日を中心にお盆参りをしますが、もし、7月盆をご希望でしたら、慈雲寺までご相談下さい(電話052-621-4045)。

 また来月のお盆のお参り、慈雲寺本堂でのお勤め、お墓での読経などをご希望の方は宗派にかかわらずご相談に乗ります(053-621-4045)

 

D)7月17日(日)10時より「尼僧と学ぶやさいい仏教講座」

 慈雲寺では毎月、身近な話題から、仏教のものの見方、考えるプロセスなどをご一緒に学びましょう。今月は、お盆という宗教行事が始まるきっかけとなった目連尊者とその母の話を通して、お盆の意義についてご一緒に考えてみましょう。

 

E)英会話の個人授業始めます!

 コロナ禍の事情などで休止していた英会話のクラスを再開します。中学に入学したけど、一学期でもうすっかり英語が苦手になった人から、いまさらできる?と心配なシニアの方まで、どなたでも歓迎します。個人授業で一回三十分程度。日時は相談で決めましょう。授業料は無料ですが、草引きや掃除、事務など、何か得意なことと「物々交換」して下さる方を特に歓迎します。

 カナダ在住40年。ブリティッシュコロンビア大学大学院修了。元国連世界観光機関特別顧問。

 

◎中日文化センターの講座は有料ですが、慈雲寺で行われる法話や写経などは特別な場合を除いて無料です。お寺の維持やご先祖のご供養のため、ご喜捨いただければ有難く存じます。

◎慈雲寺は皆さんのお寺です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。