慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

3月24日(旧暦の2月15日)10時より涅槃会の法要をいたします

 太陰暦の2月14日は、お釈迦様が現世の肉体を離れ、完全な涅槃に入られた日とされています。

 上の涅槃図は、亡くなられた直後、多くの人々、弟子たち、神々、動物までもが悲しんでいる様子を描いたものです。中央に横たわっておられるのがお釈迦さまです。

 『涅槃経』というお経には、お釈迦様の最晩年の様子が詳しく述べられており、老後を考える大きなヒントとなることがたくさん示されています。

 

 私たちの現在使っているカレンダーでは、今年は3月24日が涅槃に入られた日にあたります。

このブログでお知らせするのが遅くなりましたが、

3月24日10時より、涅槃会の法要を行います。お釈迦さまの御教えを偲んで、ご一緒に涅槃経の内容を学びましょう・

 

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

◎慈雲寺へのアクセス

 お車でおいでの方は、国道23号線の有松インターで降りて北上してください。カーナビに慈雲寺の電話(052-621-4045)を入力してすれば探しやすいでしょう。しかし、慈雲寺には十分な駐車場がありません。できるだけ公共交通をご利用下さいませ。

 バスは、大高駅南大高駅、有松駅、鳴子北駅などから市バスが出ています。郷前(ごうまえ)というバス停で下車し、郷前の交差点まで1分ほど歩いてください。交差点南東側にお蕎麦屋さんがあり、その後ろに見える大きな屋根が慈雲寺です。お蕎麦 さんの右側に細い道がありますので、そこを通ってお寺においでください。

 なお、バスの時刻表は、名古屋市交通局の時刻表をご参照下さい。https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/bus/timetable.htm

 

行方不明の本に教えられる

 

これは去年の桜。今年の桜はもうすぐ咲きそうな雰囲気です。

先日、出張があってあるビジネスホテルに宿泊しました。

 眠りに入る直前、少し文庫本を読んで枕元に置いたところまでは覚えています。しかし、朝起きてみるとその本が見当たりません。ベッドの下や壁との間を探したのでも行方不明。

 狭いビジネスホテルの部屋ですし、どこかへ持ち出すわけもないのに、部屋中あちこち探しても見つかりません。昨夜、ちょうどストーリーが盛り上がりかけたところまで読んでいたので、続きが読みたくてかなり焦りました。

 仕事に出かける時間になってしまい捜査は中止。首をひねりながら部屋を出ました。

 ところが、部屋に戻ってみると、枕の真上にあった棚の上に、探していた本がチョコンと置いてあるではありませんか!その棚は今朝、もう何十回も見た・・・はずの場所でした。

 連泊だったのですが、今日は部屋の掃除が入らない日。入り口のドアに新しいタオルなどを入れた袋が下げられていたので、誰も入室するはずがありません。いったい、あの本はどこからワープしてきたのでしょう?

 このごろこんな不思議がことが多すぎる!

 仏教では、「ものごとをありのままに見ない」ことが私たちの生きる苦しみを増幅していると教えています。

 ありのままに見えないのは私たちの思い込みが目を曇らせているからです。おそらく私は、文庫本にカバーがかかっていると思い込み、そのカバーの色のことばかり考えて探していたのです。昨夜、カバーを外したことをすっかり忘れていました。

 「カバーがかかった本」を探している私には、目の前にお目当ての本があったのに見えなかったのでしょう。

 つい数か月前にも、パスポートの色を赤だと思い込んで探していて、なかなか見つからず、実は目の前にあったということがありました。私は五年有効の青いパスポートに変えていたことを忘れていたのです。

 う~~ん・・・老化ということかなぁ?

 自分の思い込みに私たちは振り回されているのです。落ち着いて、先入観を沈め、周囲を見れば・・・・。僧侶は特に気をつけなければいけませんね。「老い」を言い訳にはできないでしょう。反省、反省。

 

17日(日)はお彼岸の入り。法要と法然上人のお話をいたします。

 17日から7日間、春のお彼岸です。彼岸とは、阿弥陀仏の世界、お浄土のことです。私たちが生きるこちら岸(此岸)と、仏の国のあちら岸(彼岸)の間には、荒れ狂う貪欲の波が渦巻く河、怒りの炎が燃え盛る河が横たわっているそうです。その二つの河の間には細い白い道があります。その道を恐れずに進めば、彼岸は思ったよりずっと近くにあるのです。

 

3月17日10時より、お彼岸の法要をいたします。法要の後は、阿弥陀様の救いをお説きになった法然上人のお話もいたします。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。ご先祖を思い、自分たちの命について考える良いきっかけになることでしょう。

 故人やご先祖のご供養を希望なさる方は、戒名や家名などを書いた紙をお持ちください。

◎慈雲寺へのアクセス

 お車でおいでの方は、国道23号線の有松インターで降りて北上してください。カーナビに慈雲寺の電話(052-621-4045)を入力してすれば探しやすいでしょう。しかし、慈雲寺には十分な駐車場がありません。できるだけ公共交通をご利用下さいませ。

 バスは、大高駅南大高駅、有松駅、鳴子北駅などから市バスが出ています。郷前(ごうまえ)というバス停で下車し、郷前の交差点まで1分ほど歩いてください。交差点南東側にお蕎麦屋さん(ただいま工事中)があり、その後ろに見える大きな屋根が慈雲寺です。うどん屋さんの右側に細い道がありますので、そこを通ってお寺においでください。

 なお、バスの時刻表は、名古屋市交通局の時刻表をご参照下さい。https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/bus/timetable.htm

原稿書きがとても楽しい!

慈雲寺の紅梅です。これが咲くと、慈雲寺の「梅花の季節」も最終章です。

 

 どの業界にも「業界紙」というものが存在します。宗教関連、仏教関連の話題を集めた月刊誌や新聞もあるのです。一般の方に講読されることは少ないでしょうが、寺院では定期購読しているところも多いと思います。

 コロナ禍で旅行関係のお仕事が全滅状態になっていた私に、こうした業界メディアから執筆の依頼をいただくようになりました。ライターは書く喜びはもちろん、読んでいただく喜び、そして何らかの反応をいただける喜びはひとしおです。

 今は東京に本社のある「仏教タイムス」という週刊新聞から連載のご依頼をいただいています。一回600字という小さなコラムですが、毎週毎週締め切りが来るというのは久かたぶりのエキサイティングなこと。

 この600字というのがなかなかくせ者で、説明をグダグダする余裕はないので、読者の関心をグッとつかむ必要があります。ま、へっぽこライターの私には、「グッとつかむ」なんて技はない!。毎回トホホと思いながら書いて居ます。

 連載の注文をいただいた時は「ブログに書いていらっしゃるような話題で」ということでしたが、編集部で付けたタイトルは「尼僧奮戦記」・・・う~~ん奮戦なんかしたことないけどなぁ。

 編集部の意図としては、カナダから帰国したばかり、知り合いもほとんどいない地に赴任した尼僧が「奮戦」してきた様子を書いて欲しいというところだと思うのですが、本当にボンヤリしてたら10年たったというぼんくら。奮戦なんかしたことないので、困ってしまいます。

 締め切りは毎週やってくるしなぁ・・・・

一に掃除、二に掃除、三四が無くて五に掃除

 このところ色々と準備しなければならないことが重なって、家の中がいつもにも増して乱雑になってしまいました。

 僧侶の資質ということを考えるとき、あれこれと思いはあるのですが、大切なことの一つが「掃除が苦にならない」とか「整理整頓が好き」ではないかと思っています。

 多くのお寺で僧侶の心得として第一に挙げているのが「掃除」です。「一に掃除、二に掃除、三四がなくて五に掃除」とまでいう僧侶もいるほどです。

 私は、この「掃除」への心得は納得のいくものだと思っています。心理学の研究でも、「部屋の状態は心の状態を現す」と言われているようです。部屋の中が乱雑なのは、心も乱雑ということなのでしょう。

 恥ずかしいことながら、私の部屋はまさに、私の乱雑な心、迷いの多い心を象徴するようです。毎日、「今日こそは勉強部屋を片付けるぞ!」と決意だけはするのですが、挫折の連続です。ひょっとしたら、整わない心のままでは部屋の片づけもできないのかも?

 

 先日、友人に連れられて食事にでかけました。京料理のお店。座席は十数人という小さなお店で料理人と配膳係りの二人でまわしていいるようでした。

 料理は美味しく、器にも細かい配慮がされていて、十分に楽しめるはずでした。しかし、なんだか心が落ち着きませんでした。食事をしている人は、皆静かに会話をして「落ち着ける」雰囲気のはずなのですが・・・・店内を見渡して、気が付いたのは、整理整頓が行き届いていないのでした。清潔という面では問題はないのですが、なんだか店内がごたごたしているのです。にぎやかな居酒屋だったら気にもならないでしょうが、京料理メインの小料理屋では、細かいところまで配慮した「すっきりした店内」というのが大事なのだと思いました。

 おそらく原因は人手不足。繁盛しているだけに、二人で回すのは難しいのでしょう。

 

 う~~ん・・・・お寺こそ、すっきり綺麗でないとだめですよね。幸い、慈雲寺の弟子二人は整理整頓が苦にならない性格のようですが。

 

 

3月の慈雲寺の行事予定

 鈴鹿の森公園のしだれ梅の梅林です。遠くの山とのコントラストが素敵でした。

 

 さて、3月はお彼岸もあり、各地のお寺で様々な行事があります。慈雲寺でも、ささやかながら法話や法要の会を行います。

 

3月17日10時より  お彼岸法要と「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」 

 17日は彼岸の入りの日です。お彼岸の短い法要を行います。ご先祖のご供養をご希望になる方は家名や戒名などを書いた紙をご持参ください。

 法要の後は「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を行います。テーマは「法然上人の開いた『浄土門』とは何だったのか(2)」です。法然上人が説いた阿弥陀仏の救いについてお話します。3回連続講座の2回目ですが、初めての方にも解りやすいお話を心がけます。

 

3月24日(旧暦2月15日)10時より 涅槃会

 旧暦の2月15日は、お釈迦さまが地上での肉体を離れて完全な涅槃に入られた日です。お釈迦様の御命日と言っても良いでしょう。お釈迦様の教えを振り返り、ご一緒に感謝を捧げましょう。

 

3月25日 夜7時半より 満月写経の会

 慈雲寺では、毎月満月の夜にお月見を兼ねた写経の会を行っています。7時半からご一緒に『般若心経』を読み、毎月少しずつ心経の内容についてもお話します。

 写経に必要な道具は全て揃っていますので、初心者の方でもお気軽にご参加ください。

 夜はご参加の方も少ないので、ご希望の方は自動車でおいでくださいませ。

 

◎慈雲寺の行事は特別な場合をのぞいて、全て無料です。もし、ご先祖のご供養やお寺の維持のためにご喜捨をいただければ、有難く存じます。

◎慈雲寺へのアクセス

 お車でおいでの方は、国道23号線の有松インターで降りて北上してください。カーナビに慈雲寺の電話(052-621-4045)を入力してすれば探しやすいでしょう。しかし、慈雲寺には十分な駐車場がありません。できるだけ公共交通をご利用下さいませ。

 バスは、大高駅南大高駅、有松駅、鳴子北駅などから市バスが出ています。郷前(ごうまえ)というバス停で下車し、郷前の交差点まで1分ほど歩いてください。交差点南東側にうどん屋さん(ただいま工事中)があり、その後ろに見える大きな屋根が慈雲寺です。うどん屋さんの右側に細い道がありますので、そこを通ってお寺においでください。

 なお、バスの時刻表は、名古屋市交通局の時刻表をご参照下さい。https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/bus/timetable.htm

枝垂れ梅を満喫

 先日、鈴鹿の森庭園に梅のお花見に連れて行っていただきました。

 私は桜より梅の方が好き。ほのかな香りも嬉しい。

 慈雲寺にも梅の木が四種類あります。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言葉があるようで、梅はきちんと剪定して手入れするのが大切らしい。でも、慈雲寺の梅はワイルドなまま、全く枝の手入れも肥料などの世話も無し。それなのに、毎年律義に咲いてくれるので、可愛いし、申し訳ない気持ちにも・・・・

 鈴鹿の森庭園の枝垂れ梅は、日本の匠の技術を駆使して剪定したもの。枝の一本、一本に細かな配慮が感じられました。

 でかけた日は、ちょうど満開直前。ふっくらと「明日咲きます!」という感じで膨らんだ蕾が美しい。満開よりも、このぐらいがなんともちょうど良い素敵さでした。でも、もう少したてば、梅の愛らしい花びらの花吹雪が見られるでしょう。

 

 梅でも桜でも、お花見はまさに「諸行無常」を教えが目の前に広がっているように見えます。花の美しさは日に日に変わっていきます。蕾も愛らしいし、散る花びらも美しい。やがて若葉と残り花も名残の美しさです。