慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

自分の力が及ぶのは「今」だけ

f:id:jiunji:20160222171043j:plain

 仏教では、「今、この時」に心を集中させることをとても大事にしています。

 過去は既に過ぎ去ったものですから、自分ではどうすることもできません。また、未来については、未だ来ていないのですから、不確定要素が多すぎて、結局できることは無いに等しい。

 人が何かを選択できるとしたら、「今」「この場」でしかチャンスがないと仏教では教えています。

 過去にこだわって嘆いても仕方が無いですし、まだ起こってもいないことを心配して心を苦しめるのは妄想に悩まされているのと同じです。

 過去のことから学ぶなとか反省するなと言っているのではありません。また、未来のことはわからないと「刹那主義」に陥って良いというのでもありません。過去の経験や反省を生かして、「今」の選択に生かしていくことで、正しい方向に向かうことができるでしょう。そうなるためには、「今」何をすべきかに集中するのです。

 自分で選択し、決定できるのは「今」「ここで」のことだけです。自分の力が及ぶのは「今」だけなのです。ですから、過去の傷を自分で何度も開いてしまうようなことはもちろん無意味だし、妄想で不安をかきたてて「今」を逃し続けるのは愚かなことなのです。

 とはいっても、人はなかなか過去から抜け出せないし、未来に漠然とした不安をいだいてしまうものです。心を今に集中させるのは容易なことではありません。

 集中しようとすればするだけ心が乱れてくる、不安に押しつぶされそうになってしまうことも多いでしょう。

 そんなときこそ、阿弥陀様のそばで一休みしてください。慈雲寺の本堂の扉が開いていたら、どうぞ遠慮なく入ってください。阿弥陀様のやさしげなお顔をながめてホッと一息つくもの、あなたのすてきな「今」なのです。

◎今日の写真は東山動植物園で見たロウバイです。ロウバイは梅よりも先に咲いてしまうと思っていましたが、数本きれいに咲いていました。花の変化も「今」の大切さを教えてくれますね。