慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は7月21日(日)10時よりおこないます。テーマは「巡礼の意義と功徳」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

花に嵐のたとえもあるなぁ

 アマリリスが咲きました。上のは去年の写真ですが、ほとんど手入れをしないで放置状態なのに、けなげに今年も咲いてくれました。

 

 今日は一日、まるで嵐のような強い風が吹いています。建物のあちこちに隙間があいている慈雲寺では、誰かが口笛を吹いていたり、太鼓をたたいてるような音が絶え間なく聞こえています。

 玄関を開けたら桜の花びらが吹き込んできました。慈雲寺には桜の木はありませんし、一番近くの桜屋敷までも数百メートルはあるはず。いったいどれほどの距離を風に乗って旅してきたのでしょう。

 慈雲寺から500メートルほど離れた所にある溜池の周辺に桜が植えられています。毎年、私のお花見はここがメイン。でも、今年は伊豆半島の枝垂れ桜、山梨県の糸桜、岐阜県ソメイヨシノと、いろいろな種類の桜を堪能しました。

 

 私は梅の方が好きと公言していいるのですが、桜吹雪は特別です。

 花に嵐のたとえもあるぞ・・・と言われていますね。桜が満開になると、そこを狙ったように例年、春の嵐がやってきます。

 爛漫と咲き誇っていても、アッと言う間に状況が変わってしまうことがありますね。私たちの命も同じです。明日のことは誰にもわからないからこそ、今日一日を丁寧に生きていくことが大切です。

 仏教では、「今」ということに集中せよと教えられています。過去は過ぎ去ってしまったものだし、未来はまだ来ていないし、不確定です。過去から学ぶことは大事ですが、すでに無いものに拘っても仕方がありません。

 未来のために準備することは大事ですが、嵐はいつ来るかわかりません。未来ばかり見つめて執着しても思い通りにはいかないでしょう。

 今、せいいっぱい利他に生きることが仏教徒の生き方です。風が吹いたら、花を惜しむのではなく、風に舞う花びらの美しさを愛でてみましょう。