慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

歩いて行けるご近所に”行きつけの”お寺や神社のある幸せ

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あなたの春夢に富士山は登場しましたか?

 このブログの読者に登録して下さっているa-wiさんが、元旦の記事に下のようなコメントをくださいました。

 

◎お参りはできれば歩いてというところを読んでどういう意味だろうかと考えています。

私は神社に詣でるのが好きで、自動車参道は体力的に無理な時以外使わずにできるだけ歩いてお参りしています。

長い石段は息が上がりますがその分雑念は消えて、社殿前まで来ると神前に今立っているんだという気持ちになります。

お寺へのお詣りも同様に、一歩進む度に気持ちが自然に仏様へと向かっていくということなのだろうかと思うのですが仏教の知識不足のために判断できません。

それともコロナで公共交通機関を避けて安全にという意味なのでしょうか?

 

 あちこちのお寺に参拝なさった経験をブログに書いていらっしゃるa-wiさん(記事一覧 - ほわほわ神社生活 (hatenablog.com)。奈良のお寺を巡りたくなるような記事を私も楽しみにしています。

 さて、ご質問の「お参りはできれば歩いて」の意味は、a-wiさんが読み取って下さったように二つあります。一つは、自分の体力や体調が許す限り、自分の足で歩いてお参りに行きましょうというお勧めです。もちろん、階段の上るのが身体的な理由で難しい方は、本堂や拝殿のすぐそばまで自動車で行っても良いでしょうし、車でスイスイ巡礼するのも良いでしょう。苦行をして参拝することにも、もちろん意義はあると思いますが、易行でも仏様や神様のおそばで祈らせていただくということ自体に意味があるのですから、そこまでの手段はどうでも良い・・・・

 しかし、お寺や神社を目指して、一歩一歩踏みしめながら、お念仏しながら、祈りながら歩く・・・・その行動そのものが祈りとなり、神仏の世界に溶け込んでいくプロセスになると思います。神社の鳥居、お寺の山門、結界・・・・特別な場所、神域、聖域に歩いて行くのは、心を整えるプロセスとして大切だと思います。

 

 もう一つは、自分の住んでいる場所、働いている場所、学んでいる場所など、身近な所から歩いていける範囲で、”行きつけ”のお寺や神社を見つけてみませんか?というお勧めです。自分の家の近くに菩提寺がある人は幸せだと思いますが、菩提寺から離れたところで暮らしているなら、ご近所でぜひお寺や神社を探してみて下さい。気軽に境内に入ってお参りさせてくれるお寺はありませんか?檀家以外の人も気軽に参加できる法話の会やイベントをしているお寺はありませんか?菩提寺と同じ宗派なら、より尋ねて行きやすいかもしれませんね。

 神社も同じです。観光客がたくさんくるような神社より、小さな氏神さまのような神社がお勧めです。境内に入った時、気持ちがスッと安らぐなら、そこがあなたにとってのベストな神様になるでしょう。

 仕事の昼休みや通勤や通学の前後に立ち寄れる”行きつけ”が見つけられればさらに良いですね。朝、10分早起きして、お参りしてから会社や学校に行けば、あなたの生活が劇的に変わるかもしれません。

 今日から仕事という方も多いかもしれませんが、まだお休みが続いているなら、ぜひご近所を散歩してみて下さい。