今日は「沖縄慰霊の日」です。米軍の沖縄上陸から三ヶ月で日米双方の戦没者は20万人を越えたそうです。
今日は朝から蒸し暑く、76年前の沖縄で防空壕や洞窟に逃げ込んだ人たちの苦しみと恐怖を思うと胸のつぶれる思いでした。朝の勤行でささやかながら戦没者の方々のご供養をさせていただいたのですが、なんだか「アリバイ作り」をしているだけのような気がして、自己嫌悪。
再び戦争を起こさないために何ができるのか、ぼんやりと考えただけの一日でした。
沖縄には一度しか行ったことはありませんが、米軍基地から爆音を轟かせて急発進する戦闘機を見たときは、この島の人たちの苦しみはまだまだ終わっていないと感じました。そして今、コロナ禍のただなかでも、医療体制の逼迫、患者の多さなど、沖縄は他の地域以上の犠牲を強いられているのではないでしょうか?
大義名分の旗を振れば、道理もモラルも二の次、三の次になってしまいがち。命よりも大事なイベントって何なのでしょう?
オリンピックの「大儀」の中身は、利権と空虚な名誉のように思えます。私はパラリンピックの選手候補の海外遠征の通訳などのお手伝いをしばらくしていたことがあるので、選手たちのオリンピックへの強い思いを少しは理解しているつもりです。しかし、現在の状況に一切目をつぶって、「大儀」を振りかざすことに疑問を持たないとしたら、いったいスポーツは人間にとってどんな意義があるのでしょう?