「お盆のお参りのご相談に応じます」というポスターを出してみたら、「突然で申し訳ありませんが、今からお願いできますか」と声をかけて下さる方が毎年少しずつ増えています。
それぞれのお宅へ伺うのではなく、慈雲寺の本堂でお盆の御供養をさせていただくことも多くなりました。
今回は、盛り花のお供えをして下さった方があったので、お盆の期間中に境内や本堂の仏花を何度も替えることができて本当に有り難かったです。
今朝も本堂の仏花を新しくして、戦没者の方々のためにお経をあげさせていただきました。
私の父は、終戦直前に予備士官学校を出て少尉としてインドネシアの戦場に行きました。戦争後は収容所に入れられ、最後の引き上げ船で戻ってきたそうです。
父は戦争の話しはめったにしませんでしたが、「戦場では誠実な人から死んでいく。生き残った奴はどこかで狡い行動をしている」と言っていました。また、「自分の未熟な指揮で何人もの兵士が死んだ。遺体をそのままジャングルに置いてきたこともある。だから自分は葬式をしてもらう資格はない」とも言っていました。
その言葉通り、父は早々に献体を決めてしまいました。
父は戦争に深く傷ついたし、自分を許してもいなかったのでしょう。
私が子供の時、父は笑わない人でした。機嫌が悪いとか癇癪もちというわけではないのに、まるで「笑ってはいけない」と自分に制御をかけているかのようでした。
ですから、中学の制服を着た父が大きく口を開けて笑っている写真を祖母の家で見たときは本当に驚きました。
戦争を体験したしたことによるトラウマや罪悪感を抱えた人間が、周囲の人間、とりわけ家族、子供に与える影響について研究した方はおられるでしょうか?「兵士の子」の問題については、ベトナムからのアメリカ人帰還兵とその家族のことについての本は読んだことがあるのですが・・・心に傷を負った人間に育てられたら、その子供達に影響が出ないわけはないでしょうし・・・・
桶狭間周辺では、雨脚も穏やかになり、まるで終戦記念日の哀しみ天が嘆いているような雨でした。