私はスリッパを履くのが苦手です。うまく歩けなくて、躓いてしまったりしがちだからです。特に、お説教などでお寺に行くと出して下さる金襴のスリッパは、お断りするのも難しく、いつも困っています。
先月、ここ10年で最悪の大寒波が日本を覆ったといわれる日、慈雲寺の周辺にも雪が降りました。本堂と庫裏を結ぶ廊下は、外からの風が直接吹き込むので、雪が2センチぐらい積もったのです。スリッパは苦手な私も、靴下が濡れるのが嫌だったので、来客用のスリッパを履き、そろりそろりと歩き始めました。
片手には魔法瓶、もう一方の手には書類を持ち、「へっぴり腰」という言葉がぴったりの情けない歩き方で、ややスロープになっている廊下を歩き始めました。怖いという気持ちが却って体のバランスを崩したようで、アッというまに滑って転んでしまいました。それは丸で漫画に出てくるような転び方。魔法瓶を廊下にたたきつけるような感じになってしまったので、後で気がついたら中のガラスが完全に壊れていました。
幸い、頭も腰も強打というほどではなく、魔法瓶で受け身をしたような感じ。でも、しばらく起き上がることができませんでした。
怪我をしていないことが分かったら、なんだか自分の姿が滑稽で変な笑いが出てしまいます。ここで慌てて起き上がると、それこそ漫画のように、また滑ってしまうことになりそうでした。大きなため息を一つついて、ゆっくり起き上がることにしました。
私たちは人生のなかで、というか毎日の暮らしの中で、何度も転んでしまいます。身体的に尻餅をつくこともあるでしょうが、心が折れて、精神的に転んでしまうこともあるでしょう。
仏教では精神的な「顛倒」や「挫折」を必ずしも悪いことだとは考えていません。むしろ、さまざまなことの「気づき」のきっかけになると教えています。
転んだ時は慌てて立ち上がってはいけません。むしろ、自分の心身の状況をゆっくり観察し、時間をかけて起き上がりましょう。走って居たときには見えなかった景色が、地面近くからは見えることもあるからです。
私も転んだ時に、坪庭の椿が咲き始めているのが見えました。雪が少し積もって本当に美しいつぼみでした。その廊下は毎日何度も行き来していたのに、転ぶまで気がつかなかった・・・・壊れた魔法瓶は残念ですが、悪いことばかりではありませんでしたね。