創価学会の池田大作氏の訃報のニュースを聞き、さまざまなことを考えています。ネットでも、いろいろな角度から今後の創価学会、公明党の動きに注目しているようですね。
カルト問題、政治問題など、興味はつきませんが、私がまず気になったのは、最初のニュースで「池田氏の葬儀はすでに家族葬で行った。いずれお別れの会のようなものを催す予定」というものでした。
池田大作氏も家族葬かぁ?なぜ「密葬した」と言わないのかなぁ?いったいどんな家族葬だったのでしょう・・・・
私は、創価学会が日蓮正宗と決裂した時のことに、とても興味があります。ある日を境に、日本の中の800万世帯の人々が、「葬儀に僧侶はいらない」と言い出した瞬間だからです。
伝統仏教教団が、この「事件」についてあまり注目していないようなのが不思議です
もともと創価学会は日蓮正宗の信者の講だったはずです。それが僧侶を切り捨てたのですから(一応、形の上では創価学会が日蓮正宗から破門された)、学会員に決別を納得させた池田大作氏のカリスマ性は驚異的と言っても良いでしょう。
教義的にどのように説明されているのか知りたいと思い、何冊か本も読んでみたのですが、池田氏と日蓮正宗の日顕上人 との間にどのような教学上の意見の相違があったのかよくわかりません。入手できた本が限られていたせいか、なんだか、「信者を下にみる高慢な僧侶」VS「独自の力を持ちだした学会」みたいな構図ばかりが強調されて本質が見えにくい。
私の属する浄土宗西山派(西山浄土宗)は超弱小宗派のせいか、威張りまくる僧侶はめったにいませんけど・・・・
池田氏の「葬られかた」というのは、今後の日本の葬送儀礼のありかたに影響を与えないわけはないと思うのですが、どうでしょう?
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