慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

サリン事件の報道に思う

f:id:jiunji:20180320094957j:plain

 めったにテレビは見ないのですが、今朝は何となくリモコンに手を伸ばしました。最初に目に入ってきたのが、「サリン事件から、23年」というニュースでした。私はオウム真理教が社会に及ぼした影響、とりわけ宗教界に及ぼした影響を非常に重視しています。

 単なる勘違いした「聖者」に踊らされた人々とか、狂人、愚人とがいった評価で、「過去のもの」扱い、もしくは極めて特殊な例として軽視する宗教者が少なくないのは、非常に大きな問題だと思っています。

 オウム真理教の活動、なかでもサリン事件によって、「宗教は怖い」、「宗教は人の正常な判断を狂わせる」、「触らぬ神に祟りなし」という印象を多くの人たちに与えてしまったことは間違いないでしょう。それに対する宗教界の反応は鈍いものでした。「オウムは特殊、狂気」で片づけてしまい、なぜ、多くの若者がオウム真理教に引き付けられたのかについて、宗門、宗派としての考察をきちんと整理し、公表したところは、ほとんどないのが実情です。

 私は、宗教学者や宗門の教学を学ぶ人々の見解に非常に興味があり、今も書店や図書館で目にすると、読まずにはいられません。正直言うと、まだまだ私の理解は浅く、納得のいける状態ではありません。

 オウム真理教の信者は、今も形を変えて存在し、その数は増えているそうです。サリン事件を風化させないためにも、宗教者はオウム真理教を「過去のもの」にせずに、きちんと向き合うべきだと自らを省みています。

  サリン事件の犠牲者の方々のご冥福をお祈りし、心身に傷を負われた方々の後遺症が少しでも軽くなるようお祈り申し上げあげます。

◎今日の写真は、橿原神宮で見た「さざれ石」です。