北米の平原地帯に住む先住民の言葉に「一つの場所へたどり着く道は一つではない」というのがあります。
どこまでも続く乾燥地帯・・・そこを貫く一本の舗装道路。次の町へたどり着くには、その道をまっすぐ進む以外にはない・・・と、思ってしまいがちです。しかし、大自然とともに生きてきた先住民の人々は、舗装道路以外のルートがいくつもあることを知っているのです。
仏教の教えも同じです。一つの道をひたすら進むことも尊い修行ではありますが、それだけにこだわり、執着してしまっては、「一筋の道」も単なる迷いの道になってしまいます。
舗装された道だけが道ではないし、まっすぐ進むだけが正しいのではありません。ときどきは立ち止まって全体を見渡してみることも大事でしょう。
お釈迦さまは、仏の教えを説くとき、相手の性質や能力、その人がおかれた状況や社会環境などによって、説き方を変えています。仏教の宗派がこんなにたくさんあるのも、別に不思議ではありません。
どの教えが「一番」とか「絶対」とか固執するのは仏教の教えからかえって離れてしまいます。一番、自分の心に「ああ、そうかぁ・・・」と腑に落ちる教えと出会えるのが理想です。
南無阿弥陀仏のお念仏は、阿弥陀様が「私」のために選んでくださったのだと、ストンと腑に落ちたところから、念仏者の穏やかな日々が始まります。しかし、念仏者は他の道を行こうとする人たちを批判したりはしません。一つの場所にたどり着く道は一つではないからです。
◎今日の写真も慈雲寺の属する浄土宗西山派(西山浄土宗)の総本山光明寺の秋景色です。楓の古木が参道の両側から大きく枝を広げ、紅葉のトンネルができることで知られています。