先日から巡教のお説教の準備をしています。お話しする通りの原稿をいったん書き、それを何度も声に出して読み、時間を確認します。
いったん頭に入ったら、お経や書物からの引用文、人名、年号など、間違えてはいけないものだけを話の流れに合わせてメモ書きしたものを別に作ります。
原稿とそのメモをもってお説教台に上がりますが、ほとんど見ないでもすむように練習しておきます。しかし、その日に聴きにいらしてくださった方々の様子、天気、お説教をするお寺の雰囲気などに合わせて、話の内容を調整していくことも大切です、何が何でも準備していたお話しをするというふうに固く考えない方が良いと、先輩のお説教師に教えていただいたことがあります。
お説教の日の直前に大きなニュースがあったときなど、それを話題に取り上げたりすることも必要です。
お説教で大切なことは、何か一つでも良いから「お土産」をもってかえっていただけるようにすることです。前回もお話ししたように、お説教は、させていただく私にとっても大切な修行。上から何か「与えてやる」とか文字道理「教えを説く」のではなく、お釈迦様の教え、お祖師様の教えをともに喜ぶことが大切だと思いながら準備してます。
今回は命の大切さ、危うさ、死ときちんと向き合うことの大切さをお話ししたいのですが、「死」をテーマにすると、重すぎる、つまらない、かえって心に残らない・・という恐れもあり、いろいろと逡巡してしまいます。
近しい人を失ったばかりの人に慰めになるようなお話しでありたいとも思うし・・・う~ん・・・直前まで悩みは続きそうです。
◎今日の写真は、昨日、近江八幡の八幡山で撮った紅葉です。山頂付近には、鮮やかに紅葉した木々が所々にありました。紅葉のトンネルを抜けると向こうには素晴らしい琵琶湖の風景が!