慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

地元の神社のお祭り。慈雲寺がお世話になっている神様にお礼参拝。

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 今日は桶狭間氏神さまである神明社のお祭りでした。先週の日曜日には近隣の人がたくさん集まって境内の掃除もしていました。常駐の宮司さまはいらっしゃらないようですが、近隣の人々がしっかりお宮を守っています。

 この神社には桶狭間の戦いにゆかりのある宝物も伝えられていて、江戸時代以前からの歴史があるようです。実は、慈雲寺はこの神明社に「お世話になっている」立場です。

 慈雲寺は明治20年代に創建された比較的新しいお寺です。江戸時代の古地図を見ると、現在の慈雲寺の境内地のあたりは、「山の神」と記されています。この周辺は、どうやら「山の神の森」と呼ばれていたようです。今も、慈雲寺の周辺の五軒の家では、年に一度、山の神様へのお供えを作っています。つまり、慈雲寺は、もともと山の神さまの土地だった所に建っているらしいのです。そして現在、この「山の神」さまは神明社に合祀されており、境内に小さな祠があります。

 私は、明治時代に行われた神社合祀政策によって、山の神様が神明社に移されたのだとばかり思っていましたが、どうやら明治初年には移されていたようです。う~ん?なぜでしょう?ちょっと調べてみたくなりました。

 ともかく、慈雲寺は山の神さまに深い恩があるわけですから、時々お参りしてお礼の気持ちをお伝えし、加護もお願いしています。今日も、3時過ぎに「あ、お祭りの日だからちゃんとお参りに行かねば!」と神社に出かけました。

 すると、今日のお祭りのフィナーレ(?!)を飾るイベント、餅撒きが、まさに始まろうとしているところでした。この行事は、その年に厄年を迎える人と還暦を迎える人が餅を撒き、福を分け与えるというものです。

 本殿前の広場に人がぎっしり。女性と子供の区域と男性の区域とを分けてあるのも、なかなかの配慮です。私は、「慈雲寺の庵主さんが、必死で餅を拾っていた。」などという評判が立ってはいけない(??)と思い、後ろの方にひっそり立っていたのですが、なんと、めったにない赤いお餅が、足元に飛んできたのです!

 これも山の神さまのご加護かも・・・しっかり福をいただいて帰りました。

◎今日の写真も大阪市立陶磁器博物館で見た鼻煙壺です。とても美しい白い玉石でできているのですが、何の形なのかは良く見えません。まさか、ピーマンではないですね・・・