今、TBS系のテレビで「病室で念仏を唱えないでください」という番組を放送しています。僧侶で救命救急医の主人公が活躍し、「僧医」とか「終末医療」、そして「命とは何か」という根源的な問いも出てくる、なかなか興味深いドラマ・・・ですと言いたいところですが、残念ながら脚本が下手すぎるし、主演の伊藤英明が大根。原作が「ビックコミック」に連載されていたコミックなせいでしょうか、伊藤の演技が無駄に大げさで、彼がお釈迦様や弘法大師のお言葉を台詞の中で引用しても、少しも心に響かない。
伊藤英明・・・好きな俳優なんだけどなぁ・・・
あ、そんなことが言いたいのではなく、このドラマのせいで、「病院で念仏する」という行為がさらに遠のくのかなぁ・・・残念な感じ。
仏教徒、とりわけ浄土系の仏教徒にとって理想的な臨終は、「善知識」に囲まれ、一緒にお念仏を唱えながら、阿弥陀仏の来迎を待つことです。
「知識」とは、仏の教えを実践している友や導き手のこと。信仰を共にする善き友に囲まれるということです。その善き友が家族であれば、さらに喜びは増すでしょうし、日頃から親しく教えを受けている僧侶もいるなら、さらに安らかに旅立つことができるでしょう。
自宅でも、病院でも、静かにお念仏を称えれれる環境があるといいなぁ。「枕経」というのは、本来心肺停止した後ではなく、臨終を迎えた人の、命の最後のひと時に、阿弥陀仏の来迎を説くお釈迦様のお言葉を聞き、善知識たちと一緒にお念仏することだから。
仏教徒にとっての「善」とは、他の人も自らにとっても、心身共に安らぎ、穏やかになれるような状況をもたらしてくれる行為や考え方、ものの見方のことです。まさに「菩薩」のありようですね。
人生の中で、そのような善知識に出会えることこそ喜びです。死は信仰深い人にとっても不安だし、別れは悲しいことです。しかし、やがて極楽でまた会える=「俱会一処」という思いを同じくする人に囲まれて逝きたいですね。
でも、たとえ一人ぽっちで臨終を迎えても大丈夫!阿弥陀様はたくさんの菩薩たちと一緒に必ず私たちを迎えに来てくれますから。