先日、中学時代の友人とメールでやり取りをしていたら、急に「新型コロナは劇的に症状が悪化することもあるらしい。どのメールもこれが最後の言葉と思って、ちゃんと書かなければいけないという気持ちになる」と書いてきました。
心優しい友人は、いろいろと考えることがあるのでしょう。
しかし、私たちの命は、いつでもとても危ういものです。心無い言葉を投げつけて別れたら、それが今生での最後のやりとりになった・・・という経験は誰にでも起こりうることです。年齢とは関係なく・・・
災害や事故、心臓麻痺や脳溢血など、私たちはいつでも「明日をも知れぬ身」なのです。そのことに怯えたり、悲しんだりするのではなく、「あやうい命だからこそ、大切にする。十分に楽しむ、慈しむ」ための勇気を養うのが仏教の修行です。
例えば布施という修行ですが、金銭や物での布施も、執着を離れるという意味でとても大切です。しかし、「和顔愛語」、穏やかな表情で、慈しみ、思いやりのこもった言葉を語るのも、大切な布施行なのです。
「さようなら」、「行ってらっしゃい」などを言うときは、特に心をこめて言いましょう。それが今生での最後の言葉になる可能性はいつでもあるからです。
メール、特にラインでは、感情に任せて、心無い言葉を投げつけてしまいがちです。それが「遺言」になってしまう可能性もあるのです。
自分の思いを十分に伝えられるよう、語彙と表現力を養いましょう。なにより、思いやりのある、慈愛に満ちた人間になれるように、少しずつでも仏様の教えを学んでいきましょう。
家にいる時間が長いなら、本を読んでみませんか?本の世界は広々として、ゆっくり翼を広げて飛び回ることができますよ。
◎今日の写真は、ご近所で見たヴォーリズ風の建築です。私はこんな風な、和製洋館が大好き。市の文化遺産として大切にしてもらいたいものです。